自分の「♪」みつけ④
コロナ拡大防止策の外出自粛により、家の中で悶々としている方も多いはず。「悶々と」だけで済んでいればまだ幸せで、中には事業低迷や収入減少により「戦々恐々」「意気消沈」とされている方もいるのでは。
こんな時に呑気に「自分の『♪』みつけ」なんて言っている場合ではない…という気もしますが、経済や人の流れが停滞する状況下で自らの「思考」まで止めてしまったらどうなのよ?とも思うのです。
家での時間を読書など「インプット」の機会として活用されている人も多いようですが、ちょうど新年度が始まったということもあり、「アウトプット」…自分の「♪」みつけの思いの棚卸、準備に時間を使ってみてはいかがでしょうか?
この「アウトプット」はある意味「インプット」作業の準備にもなります。まだ当面外出自粛要請は続くんではないかと現時点では想定されます。今後の週末や休日を有効に活用できるように思いを巡らしてみるのがいいのではと。
自分の「♪」って一体何だろう?を気づくための方法は「自分の『♪』みつけ③」でお話しした通り。
それではその自分の「♪」を自分のものにするにはどうしたらよいか?
そのためには重い腰をあげる「きっかけ」と「具体的な計画」が必要だと思います。
「きっかけ」づくりというのはなかなか難しく、突然降って湧いてくるときもあれば、自分の考えを巡らせたり考え方を変えたりすることで作れる場合もあります。
1つの例として私がトレイルランニングを始めた「きっかけ」についてお話しします。
元々山歩きが趣味だったので山を走るトレイルランニングという競技は知っておりました。ただ、大学時代は体育会に所属し体を動かしていたものの社会人となってからはたまの山歩きだけが運動、とても山を走るなんて自分がやるべきことではないと興味もありませんでした。
山歩きと別に写真、特に鉄道風景写真を撮ることも好きで、とある鉄道写真家の方に教えをいただいておりました。
この鉄道写真家さんは多分鉄道写真を撮る人で知らない人はいないと思えるほど有名な方なのですが、撮影テクニックと共に鉄道写真以外にも色々な「♪」を教えてくださる方で、特にアウトドアアクティビティやギアは様々なものを紹介してもらいました。
撮影の際には朝露に濡れた草むらなどに入ることもあり、フットウエアの防水対策にカメラマンは悩むところ。長靴やトレッキングシューズで対応するのが常套手段なのですが、この先生は「防水を諦め撥水に注力せよ」とトレイルランニングシューズを勧めてくれたのです。
長靴というのは防水機能は抜群ですが長時間歩くと足の裏が痛くなる、あまり動き回るのには適していません。
トレッキングシューズは歩き回るには適していますが、防水に関しては雨や露には対応できますが水溜まりでは歯がたたない。また、一旦中まで濡れてしまうと乾くまでには相当な時間を要します。
濡れることを気にするならいっそのこと進んで濡れてしまえ!…ってなわけでトレイルランニングシューズ。
私もそんなこんなで安いトレイルランニングシューズを購入。鉄道写真以外にも山歩きの時もそのシューズを履いて歩いているうちに「いつか俺もこの靴で山を走ってみたいな」と思うようになっていました。ただ、この時点ではまだ「俺にできることではない」という思いに、「走ってみたい」を実現させる行動は何もしませんでした。
それから数ヵ月後…あの東日本大震災。
あの日の夜に私が感じた2つのこと…
人はいつ死ぬか分からない。やってみたいことは先伸ばしにするべきではない。
私は2人の子供の父親である。この子供たちの命を守るため子供が疲れ果てて歩けなくなった時、その2人を抱えて走って逃げるだけの体力があるのか?
この2つの事が数日頭の中を駆け巡り、気がつくと初夏に行われるトレイルランニングの大会の参加申し込みをしていました。
普通の人はある程度走る力がついてから参加を申し込むのでしょうが、自分の性格上それでは絶対に始めないと分かっていたのであえて最初に目標を作ってしまいました。ただ申し込んだだけなら出場を辞めてしまう可能性もありました。しかし、大会のエントリー料がすぐ決済になります。当時あまりお金のなかった私にとってそのエントリー料はかなりの出費。それをパーにすることはあり得ないと分かっていたからです。
もちろん私もバカではありませんので初めての大会は距離3キロとトレイルランニングの大会としては超ショートの小学生向けの部門。
申し込んだ日から朝走り始め、1キロから慣れる毎に距離を伸ばし始め大会前には3キロは遅いながらも苦はなく走れるようになりました。
大会当日、家族も応援にかけつけ久しぶりのスポーツの大会出場で緊張しながらも意気揚々とスタート。
結果は…もう散々(苦笑)
舗装路を走る練習はしていたもののアップダウンのある未舗装路は初体験、全くの別物。元気のある小学生にどんどん抜かれるのはもちろんのこと、その小学生と一緒に参加しているお母さんたちにもガンガン抜かれ、ゴールした時は応援に来た奥様、子供達の顔に「見てはいけないものを見てしまった」感が溢れ、しばし無言。家族の前であんなに恥ずかしい思いをしたことは今だかつてない。
走っている最中は「もう二度と出ない」と思っていたトレイルランニングの大会でしたが、大学時代は武道系体育会運動部の主将を務め、全国大会まで出場したプライド。東日本大震災の時に頭を巡った2つの事。帰宅後すぐに秋の20キロの大会を申し込んでいました。
この後はトレイルランニングの本を購入し練習メニューを作成。それに従い練習を続け秋の大会では20キロを完走。それから2年後には50キロの大会を完走することができました。
「きっかけ」は他人から与えられたもの、天変地異によるもの、自分の考えによるものでした。
人というのは、自分に降りかかった現象に対しては受け身ですが、その「反応」については「選択権」を持っています。
例えば、親に暴力を振るわれて育った子供。親にされたように自分の子供に対しても暴力を振るうようになる人もいれば、「あの思いを自分の子供にはさせまい」と穏和な子育てをする人もいます。
自分の身に降りかかったことや見聞きした情報に自分はどのように反応するのか…早く反応をし過ぎてデマ情報を拡散したり、内容の趣旨を取り違えたり早合点して恥ずかしい思いをしたことはないでしょうか?
何事ももう少しじっくりゆっくり反応を。それによって自分の「♪」もよりたくさん、鮮明に見えてくるのかもしれません。
こんな状況だから言う訳じゃありませんが(苦笑)