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『紙1枚!独学法』
浅田すぐる・著 SB Creative
一般の同じ年頃の人と比べ、統計上の数値を見て比較したわけではないが、多分私はよく本を読むと思う。自分も手元で集計してはいないが、図書館の利用や部屋にある冊数を見ても1月以降どう少なく見積もっても100冊以上は読んでいる。
そんな話をすると「すごいですね」とか「勉強家ですね」と言われるが、直接的に仕事に関するような本はほとんど読んでいない(笑)
「どんな作家さんが好きなんですか?」ともよく聞かれるが、小説などの物語はほとんど読まない。
それでは何を読んでいるのか?
考え方や心理学、哲学に関するいわゆる自己啓発本と呼ばれるもの。動物や自然現象、地理、歴史、民俗学などに関する学術本。登山ルートが紹介されているガイド本。アウトドアを中心とした趣味に関するハウツー本。料理本…このあたりが私が読む分野の中心となっている。これを見てもらえばわかるように、仕事を効率的に行おうとか営業成績を上げようとか(その手の本も全く読まないわけではありませんが)というよりは、「楽しく毎日を送る」ための好奇心の刺激のために読書をしているのかもしれない。
色々情報媒体がある中で本をやたらと読むのにはひとつの理由があって…年代的なものなのか、ネット上で掲載されている情報を液晶画面越しに読んでもちっとも堪能しない、頭に残らないのだ。なのでネット上で「あっ、これは!」という情報を見つけたときはプリントアウトするかメモるかする。ニュースもネットやテレビでも見ることは見るが、私のほとんどの情報は新聞から得たものである。
ところが最近何となく感じてきたことがあって、それは…「本を時間をかけて読んでいるわりには頭の中に残ってないのではないか?」という疑問。
ネットで見た知識が残っていないのではなく、そもそも自分が見た知識や情報が全部は頭に残らないにしても時間対効果を考えると非効率な程度しか残ってないのでは…と感じるようになった。
私がよく読む分野の中のいわゆる自己啓発本にはその問題点の解消方法についても載っているはずなんですがそれすら記憶にない(笑)
その理由はその解消法が「意識の問題」という頭の中で形が見えない概念上のものであったり、習慣化しやすい体系化されたものでなかったのではないか。
そんな思いをしばらく抱えていたが先日会社で、お客様である経営者を対象として配布する経営情報の冊子にこの『紙1枚!独学法』で紹介されているフレームワークについての記事があり、配布する前に斜め読みしたところ「これはっ!」と大悟、コピーして家に持ち帰り読んだところもっと深く知りたくなりその日にAmazonでポチリ🎵
この本を読んで一番ビビッときたのは…というか本の冒頭で説明されているこのことが人間のあらゆる行動の本質ではないか?とまで言い切れる重要な部分なんですが…まず本を読む前に「何のためにこの本を読もうとしているのか?」をフレームに従い紙に書き込む。その言葉を本を読んでいる最中も意識するためにチラチラと見なさい!というのです。
小説のような読み物は理由があって読むことは稀だと思いますが、先程お話ししたような私がよく読む分野の本は大抵何かの目的があって読んでいる。
我々はとかく、特に仕事においては「手段」に意識が集中してしまい、本来の「目的」を忘れてしまうということはよくある。
「手段」に意識が集中してしまうとその事自体が「目的」になってしまうこともしばしば。ただ、「目的」に意識が集中すると選ぶことのできる「手段」の数は無限にあることに気づかされる。
「手段」の数が無限になってしまうと「何をしたらいいのか分からなくなってしまうじゃないか?」「余計に行動に移せなくなってしまうではないか?」という疑問も一旦湧いてきますがよ~く考えるとそうでもない。
逆に「目的」が明確になっていることで、「どの『手段』を選択すべきか?」「『手段』達成のためにはどのような知識や情報、行動が必要なのか?」があぶり出されてくる。
本を読んで自分が気づいた「『手段』達成のために必要な知識や情報」は頭の中で感じただけでは消えていきますので、またフレームワークに添って紙に書き出していく。
そして最後に自分がその本で得た、感じたことの本質、エキスを20字程度でまとめる。ここまでが私が思うに「静のアウトプット」。
さらに別のフレームワークではそこで得た本質を実践や次の学びにどのように結びつけていくか?…いわば「動のアウトプット」…本の中では「『動詞』を『動作』にする」と表現される。
noteでもちらちらその話が登場するのでわかる方もいらっしゃると思いますが、私は人に「キャンプに山歩きに釣りに歴史旧跡探訪に写真にと趣味が広いですね」とよく言われます。確かに落ち着きないなぁ(笑)なんて思っていました。しかし、この本を読んで私には趣味は1つしかないと気づいた。それは…
「自然とそれに基づく日本の文化を楽しむこと」
…おっ、ちょうど20字に収まった(笑)
もうひとつこの本から私が気づかされたもの。
「仕事とは他者貢献以外の何物でもない」
ということ。
私も大学卒業以来25年超、社会人として今の会社で働いている。
その間に「仕事においては利益を生み出すことが大事ですが、まずはお客様のこと、そして自分が成長することが一番です」という言葉を聞かされてきました。しかし、この言葉にずっと違和感を感じていました。「利益を生み出すこと」や「お客様のこと」はいいんですが、「自分が成長」って何?…みたいな(笑)
それって何のために?どうすれば「成長した」っ分かるの?契約をたくさん獲れば「成長した」ってこと?部長になれば「成長した」ってこと?難しい業界知識をいっぱい知っていれば「成長した」ってこと?
「成長」のためには「意識」「経験」そして「勉強」が必要だけど、何をどういう風に、どれだけ勉強したらいいのか?量や質、方向性もよく分からない。
仕事において一番大事なのは「お客様のこと」というのが分かっているのにこの疑問が湧いてくる理由はただひとつ…そこに「自分」というものが混ざってしまっているからなんです。
この本ではこんなようなことが書かれている…
仕事における勉強は自分のためにするのではない。他人に貢献するため、お客様の不安を解消してあげるためには今どんな知識や情報が必要なのか?…それが仕事における勉強の目的の全てである…と。
「仕事は『他者貢献』が全てであって『自分』は何の関係もない」というと「『自分を圧し殺せ』ということか?」と誤解を受けそうですが決してそうではなく、「他者貢献のために最大限に自分を活かすにはどうしたらよいか」ということ。
意識から「自分」を外すことで逆に「自分」の立ち位置や「自分」の向かうべき方向に気づかされる…「何のために?」…この言葉が想像的で創造的な楽しい日々を送るためのキーワードかも知れない。