自然遊びから「食べること」を学んでみる
どうもご無沙汰です。気がつけば前回の投稿から一ヶ月以上空いてしまいました🙇
いつのまにか信州も秋を通りすぎ冬の気配、既に朝はマイナスになる日も。日が短くなった分、行動時間も少なくなり何となくやりたいことをするには一日が短い季節になってきました。
私はというと、梅雨明けから毎週山歩きに行っていた週末からここ一ヶ月は一転、毎週海通いをしております。
海に釣りをしに行っているのですが、なぜ海釣りにハマっているかの話をすると長くなるのでまたの機会にいたします。
元々川の釣り(主は渓流釣り)はするのですが、海の釣りは渓流釣りほど忙しくなく、一番良いのは熊に出会う心配がないこと😆
私の住む長野県松本市からですと一番近い海でも片道110キロ。それでも波の打ち寄せる音を聞きながら広い海を眺め釣糸を垂れていると、例え釣れずとも気持ちがいいものです。
話は変わりますが近頃「食育」という言葉がよく話題に上ります。
この「食育」、辞書で確認すると「食生活に関する教育。食べ方,食の安全,食文化など。」とその意味が記されています。
特に子供を対象とした場合は「食べ物を大事にすること」に焦点が当てられ、農業体験をしてみたり、食品工場に行ってみたり。
でも、「食育」において一番大事なことはあまり体験しません。それは…
「食べるための動物を殺す経験をすること」
以前、子供向けのキャンプをスタッフとしてお手伝いしたことがありました。キャンプ開催の団体のリーダーがプロの猟師であることから、その回は「動物を極める」と題し、そのプログラムの一環として有害動物駆除の現実を知ってもらうため、罠猟を見学、罠にかかったイノシシとニホンジカを〆め(とどめをさす)、運び、解体し、精肉し、それを料理して食べるという体験を子供たちとしたことがあります。
子供たちはドン引きするかバカ騒ぎをすると思ったのですが、目をそらさず真剣に動物たちが息を引き取るのを見つめ、お腹から内蔵が出され、吊るされて皮を剥ぎ取られ、肉と骨に分けられていく姿を見ていました。
なかなかこういう体験は皆が皆できるものではありません。しかし、釣りをしているとこのような場面に接することができるのです。
海で魚を釣ると鮮度を保つためにその場で「〆め」ることがあります。この体験を多くの人に自らの手でしてもらいたいなぁと思うのです。
魚の場合、小さいものはクーラーバッグに放り込めば自然に死んでしまうものもあります。なので、ぜひ(って勧め方もおかしいのですが)大きな魚を釣ってその場で自分の手で息の根を止める、〆める体験をしてもらいたいのです。
別に進んで「生き物を殺せ」と言っているわけではありません。「自分が食べるものを自分の手でとどめをさす経験を一度はしてもらいたい」ということなのです。
目の前でバタバタ苦しむ魚の目を見ながら刃物を入れ〆める。内蔵やエラを取り除くというのは、スーパーで魚が並んでいるのを見慣れた方でも簡単ではないと思います。
そうすると次の日からは食べ物を残すようなことはしない。食べられない量の料理は頼まない。ひょっとすると「もう動物性タンパク質は摂らない」ってなってしまうかも知れません。それをきっかけにベジタリアンやヴィーガンになるのも悪いことではないと思います。
先程お話しした狩猟の体験をしてから、私個人的には「自ら動物の命を断ち、それを調理したことがない大人は肉や魚を食べる資格がない」とまで思っています。
お店に並んでいる食材、レストランで出てくる料理…誰かがその食材を「殺してくれている」んです。
我々が生きるために命を提供してくれている生き物たち、そして命を奪うという嫌な役回りをしてくれたいる人たち…そんな方たちに心の底から「いただきます🙏」と言えるような体験を野遊びを通じてしてみるのはいかがでしょうか?