守る側の心
今までは守るべき存在のことをいくつか書いてきましたが少し守る側の方を。
ボランティアさんやセンターの職員さん
私が保護活動1本でやってる時は譲渡会で色んな人に出会ってきたし里親になろうと来てくれる方達とも触れ合った
正直、中には心無い人もいる
そりゃ人それぞれだからそれを否定はしない
守る側にも心がある
心無い言葉を浴びせられれば腹も立つ
ふざけんな!って思うこともたくさんあった
見た目だけで寄ってきて、その子が吠え出すと「こんなうるさい子はちょっとね…」
ああ、そうですか。
あなたはしゃべらないんですか?
いつも心の中ではそう思ってた
吠える=悪い子
でもないし譲渡会とゆう場所はたくさんの人がいるしたくさんのわんこもいる
そこにそれなりにストレスを感じる子もいる
だけど人の目に触れないと幸せを掴めないかもしれないから参加をする。
それを言っても目の前で吠えられるとそう思う人もいる。
それが理由で長く里親さんに出会えなかった子もいて
でもその子はいい子だし
みんな1度傷付いてるんだから不安なんてあるに決まってる!
譲渡会で会うといつも遠くから私を見て来たこの子がそうだった。
吠える=何かを訴える
それだけでしょ?
だって不安だもん
寡黙に耐える子もいれば声を出して訴えることだって当たり前。
それをコントロールしてあげればいいだけ。
みんなそもそも放棄をされて団体の元に辿り着く
その時点でボランティア側はその経緯を聞いて悔しいんです
なんでそんなことが?
なんで?
私はこの気持ちでいっぱいだった
それはほとんどの人がそうだと思う。
代表はいつも笑ってた
みんなうちに来ればいいのよって
それは自分1人で保護活動を始めた時の悔しさからだと思う
救えなかったその子に約束したんだと思う
相談会でもどんな理不尽な理由を持って放棄する人にも責める人はいなかった
諭すことはしても責めなかった
私はまだまだ未熟だったから思いっきり顔に出てたと思う
軽蔑が。
毎回毎回、放棄理由を聞いては腹を立て悔しくて泣いて
もうやりたくないって騒いで
代表にそんなんじゃ精神もたないわよって笑われた
そこから切り替えた
「この子はいらない」そう思ってる人の傍にいるより放棄してくれた方がよっぽどいいって。
本当なら放棄なんてされない方がいいのに。
病気で放棄され最期を代表宅で過ごした子が亡くなった時、代表は電話先で言った
いつもどんなことにも強い人が
「この子はうちにいて幸せだったのかしら」
そう言って泣いた
私は咄嗟に言ってた
「幸せだったに決まってる」
代表とはよく電話をしていて、その電話先でも吐血したり下血したりをしてた
「畳にも染み込んじゃって大変なのよ~主人にいつも言われるの」
それでも笑ってた
その子が亡くなり数日して
「リードを見ると思い出して泣けちゃうの」
そう言って泣いてた
そして
「もう畳を拭かなくていいんだって朝下に降りてきて思うの」
安心じゃない
寂しくそう言った
いつもどんなことも笑って乗り切ってるんだと思ってたけど
聞くだけで辛いのに1番傍で見てる代表はどれだけ辛かったろう
どんな気持ちでその子に声を掛け触れていたんだろう
どんな気持ちで汚れた場所を片付けていたんだろう。
見守る側の心はボロボロで疲れ果ててる。
無責任な元飼い主達によって犬だけでなく守ろうとする側の心まで潰してる。
それでもやるのは不幸な命を出さないため。
どの子にも幸せになってもらいたいから。
センターに行った時、犬のお世話をするおじさんが犬の名前を呼んだ
「名前あるんですね」
と聞くと
「俺がつけたんだよ~」
と笑っていた
「お前も連れて帰ってもらえ~」
って。
その言葉の裏には連れて帰ってもらえば殺されなくて済む、その気持ちがあるんだと思った。
短い期間お世話していても情は出てくると思う
どの子も助かって欲しい、その気持ちは同じなんだと感じた。
お世話してきた子を自分の指で殺さなければいけない。
中には「それが仕事だろ」と思う人もいるだろう
そんな世の中変わればいいのに。
変えなきゃいけないのに。
個人的に応援させてもらっている団体の人もいつも心はギリギリの所だとブログを読んで感じる。
救っても救っても救い切れない
目が合ったのに連れて帰れない
私もあの日自分があの子達を見殺しにした気持ちだった
その気持ちが今も取れない
守る側1人1人にもちろん感情がある
元飼い主達はそれを知ってるのだろうか
あなたが棄てた命の裏にはたくさんの痛みがあることを。
明日は金曜日
場所によっては殺処分が行われるだろう。
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