小さな心が傷付く世界は何色なのだろう
ペットショップに並ぶ子犬たちを見て多くの人が疑問を持たずに「かわいい」と思うのだろう。
そして数十万円のお金を払い簡単に命を手にする。
これは冷静に考えればとても恐ろしいことなのではないだろうか。
個人的にもう何年も愛護団体のブログを読んできて、その度にセンターに入れられている子たちの顔を見てきた。
どの子もほとんどが同じ顔付きをしていて目を伏せている。
どの子も「捨てられた犬」と言われ名前すら奪われる。
何も疑問に思わないのだろうか。
ひとつひとつの命を救うことは容易なことではないし、向き合う相手が命であるからこそ真剣な思いがなければいけない。
何を一体どうしたらたくさんの人の心に届くのかを日々考えていても考えるだけで時間は刻々と過ぎていく、そしてその間にも2度と戻らない命が奪われていく。
こんな理不尽なことは本当にあってはいけない。
連日ネットで目にする動物たちへの虐待の記事。
どうして矛先が小さな命へ向かうのか、そもそもなぜ誰かを傷付けたりしなければならないのか。
どの時代にも巻き起こるいじめもそう。
見ていて本当に心が痛くなるし、何が楽しいんだろうと疑問になる
大人が寄ってたかって誰かの悪口を言い、何が楽しいんだろうと思う。
自分が満たされないことを他者へぶつけるよりも自分を磨き上げる時間に費やすように頭の中で変換ができないのだろうか。
何もかも負についてくるのは心の欠落と乏しさ。
誰かを傷付けて心は本当に満足できるのだろうか。できるのだとしたら、その心は間違っている。
誰かを傷付けるより差し伸べる手を持った時、その心は今までにない感覚で満たされる、そして思いの使い方に気が付くはず。
人に対してだけじゃない。
犬猫が「ペット」と呼ばれ人間と生活をするように改良されてきた。
それから狂ったのだろうか。子犬に高値がつけられ成長するごとにその数字も下がっていく。
ショーケースに入れられ、まるで「物」のように扱われる。法律的に見れば「物」なのだろう。でもその体に触れれば温かい体温を感じる、鼓動を感じるはずだ。
中に電池が入っているわけでもない。
間違いだらけのこの世の中の仕組みに気が付くのは大人だけじゃない。
子供が心を痛める
ペットショップに並ぶ子たちを見て
どうして泣いているの?
どうしてお金で売られているの?
そんな心を大人は傷付けている。