
在宅生活をスタートさせるということ①
入院中の準備編
2010年2月下旬、息子あつぼんは気管切開の手術を受けた。私たちにとって大きな希望となったのは、手術から帰ってきたばかりの息子がものすごく良い顔をしていたことだった。
腹をくくって医師におまかせしたつもりであったが、こんな小さい子に全身麻酔の手術を受けさせて、本当にいいのだろうかという不安や迷いもあったのだと思う。
しかしまたも私たちの心の暗雲を振り払ったのはあつぼん自身だったというわけだ。よし、きっとこの子もこれからの自分たち家族ももう大丈夫だ、と確信を持った。と同時に、なんと強い子だろうと、我が子ながら感心し、ある種の尊敬の念を抱いた。
話は逸れるが、私は常々、一番強い絆とは 互いに対するリスペクトの気持ちだと思っている。夫婦、友人、同僚、同志、なんでもそうだ。その中でも、私たち夫婦は、人生のかなり早い段階で、息子(生後1歳)のことをリスペクトできるようになったのは、この上ない幸せなことだと思う。
さて、息子の体調が安定したとなると、在宅生活を始めるためには、ものすごくたくさんのことをこなさなければならなかったのだ。
受給者証などの事務手続き
在宅生活をサポートしてくれる訪問看護ステーションとの連携(ケアの引き継ぎ)
退院に向けてのカンファレンス(小児科医、耳鼻科医、病棟看護師、外来看護師、訪問看護師、保健師、人工呼吸器会社の担当、保護者)
家族の医療的ケアの手技の会得
自宅のレイアウト変更
ざっと書くだけでもこんなにある。
実際には、もっと細々あって、例えば車イスができるまでの間、乗るベビーカーはどういうのがいいのだろうとか、カニューレ(気管口に挿入し人工呼吸器の管と接続する部品)を抜けないように留めるバンドの仕様を考えて製作したり、次々病室にやってくるいろんな職種の人との面談などで、目が回るような1ヶ月だった。
しかし、明らかに春は近づいており(季節的にもメンタル的にも)、忙しさこそが幸せを実感する要素でもあった。
退院して在宅生活を始めるということは、本人の健康状態は落ち着いているのだから、今思えばそれほど肩肘張らなくてもいいのだが、その時にそんな余裕はない。知らない、理解できていないことに対する怖さというのは確実にあった。
とは言え、主治医や病棟看護師は、本当に親身になって寄り添ってくれた。夜遅くでも、私たちの疑問にひとつひとつ真剣に向き合って解きほぐしてくれた。後になって、在宅生活を始める人工呼吸器ユーザーのすべてがここまでのサポートを受けてはいないことを知り、再び息子に関わってくれた人たちに感謝した。
うちの場合は非常にラッキーだったとしても、すべての医療関係者には、やはり患者やその家族に対する寄り添いの気持ちはでき得る最大限の濃さで持ってあげてほしいと願う。
退院までの日々に、院内外泊(病室に医療関係者は来ないで家族だけで対応する練習)、実際の外泊を経験し、いよいよ4月2日、あつぼんは完全退院した。
実はこの日は、もうひとつの忘れられないエピソードがある。長らく広島カープで活躍し、その後ジャイアンツに移籍、引退後そのままコーチになった木村拓也さんがマツダスタジアムで突然倒れ、広島大学病院のICUに搬送された。そしてその5日後、彼は帰らぬ人となった。まだ37歳だった。もしかしたら、2ヶ月前にあつぼんが寝ていたベッドだったかもしれない、と思うと涙が止まらなかった。
健康な人の代表みたいなイメージの元アスリートでさえ、死は平等に、そして唐突に訪れるのか。
生きている人は、生きていくしかない。その自身の命を精一杯生ききることが、人生最大の使命なのだ。