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「気が付かない人」は「悪」である。
昨今の風潮として、「気が付かない人」を自称「気が付く人」が批判する文章には、多くの反論が寄せられる。
私自身、決して「気が付く人」ではない。会社員時代は「気が付かない人」とされ、上司や先輩に数々の叱咤を受けてきた。(決して激励ではなかった、と私は認識している)
私の性が女性であり、かつ職種が事務職であったのも影響していたように思う。「気が付かない」のは「悪」であり、「気が付かない」のではなく「気が付く努力を怠っている」だけなのだ、と私は教え込まれた。
だが、一転して家庭内で「気が付く側」として、その手の愚痴を言うとなぜだか「気が付かない」のは「悪」とはされないのだから不思議だ。
なぜ、「気が付く人」が「気が付かない人」に不満を持つのか。いくつか理由があるだろう。が、個人的には、自分自身が「気が付くこと」を、無意識かつ、快くやっているのではない故の不満であるのでは、と考えている。もっと言えば、「気が付いていない人」を含めた周囲の人間に求められていることへの、不満や不公平感であるのかもしれない。
「気が付かない」まま「何もしない」を続けるのは、それはそれで一つの意思表示だ。
「気が付くように努力はしません」「以後も気を付けません」と言う。
少なくとも、私は会社員時代の上司や先輩からの叱咤からそんなメッセージを受け取った。だから、「悪」なのだと。
もっとも、私自身はまだまだ「気が付く」ができない。いろんな感覚が人よりずれているし、緩いので、色々な判断や行動が出遅れがちだ。けれども、家庭内においては、そのマイナスは、全て自分に降りかかってくる。私は、主婦であり、母親であり、妻だからだ。決して、夫には降りかかってこない。
けれども、私の「気が付かない」を誰も擁護してくれないし、フォローもしてくれない。
家庭内に置いての、「気が付く人」は、たいてい女性だ。それは、「気が付かない」が許されないが故に、必然的にそうならざる得なかっただけでもあるように思う。
「気が付かないのは悪ではない」というのであれば、人に「気が付く」のを求めるのを止めてからにしないと、無理があるように思うのは、私だけだろうか??