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23歳 社会人 金無し子

一人暮らしを始めてから1年、というブログを綴ろうとしてから1年。
つまるところ一人暮らしを始めてから2年が経過した。
2ヶ月前には仕事の関係上東京に引っ越してきた。出戻りではないが、実家は自転車で帰れるほどの距離になった。

一人暮らしを始めてから、できなかったことができるようになったり、あったものがなくなったりした。
それは「社会人になってから」という枕詞に置き換えても通ずる部分がある。
小出しにしてきた思いや出来事をばっと吐き出す記事にしたいと思う。

一人暮らしを始めてから1年、というブログを綴ろうとしていた1年前の自分はなにを思っていただろう と必死に思い起こしてみる。
思ったよりも一人暮らしができているということ。
それでも独りは寂しいから家に帰らずにいること。
実家暮らしのころは小遣い稼ぎ程度の立ち位置だったバイトが、一人暮らし以降は飯を食って生きていくためのものになったということ。

物流バイトしか経験してこなかった自分が、一人暮らしを始めたての2ヶ月間の無職を経て、単発バイトを含めさまざまな飲食業に挑戦した。
社会人である今となっては、バイトの経験が強く生きているような気もする。人間になれた(成れた/慣れた/馴れた)という意味で。
大学生活ではさまざまなコミュニティに属し、人間関係という大きな枠組みの中では多くの刺激を得た生活だったと思う。
人生において決して良いことばかりでないというのは言うまでもなくとも、少なからず総合的には恵まれていたといえる生活だったと思う。

飯を食って生きていくためのバイトを重ねながら、これほど労働をすれば生きていけるのだという目処もある程度立っていたし、
バイトでの職場環境も悪いものではなかったというのもあって、大学卒業直前より何とか始めた就活の最中にはフリーターの道もしばしば過った。
今こうして社会人として生活しているのは決して自分のためではなく、両親へ心配させないためだけのものでしかない。
ただ、人生においてこうありたいとかいう野心や強いこだわりがない限りは、フリーターとして生きていくのは怠惰なものにしかならないというのも自覚していた。
社会人となってからというもの、自炊とまではいかなくとも 原則として職場での昼食は自宅から持参するようになるなど、
平日週5フルタイム・土日祝休日という決まったサイクルの中で生活してきて、生活リズムや習慣のペースを保てるようになったのも事実だ。
自分には自由な生活は向いていないのだとつくづく感じた瞬間でもある。

現時点でシフト制で夜勤があったり 残業が多くあったりするわけではないからこそいえることではあるが、
良くも悪くも大学生活と比べて現在の社会人生活の方が忙しくはない。最低限の楽はできていると思う。その隙を蝕む葛藤に常々悩まされてきた。
さまざまなバイトにコミュニティ、1日何もないような日をほとんど設定していなかった生活が、
前述の 生活における向き不向き という規模を超えた充実感や多幸感を生み出していたという事実があった。
時に衝動的に投げ出したくなる瞬間も含めて、何にでもなれる気がしていた。
決まりきったいまのこの生活には そのような娯楽はほとんど失われてしまった。
身のまわりには社会人として苦楽を共有できる仲間もほとんどいない。やり場のない感情が湧き起こる日々だ。
自分のために社会人となったわけでもないのに、労働を通して自分に価値を見出せるわけがなかったのだった。

社会人になってからもう少しで半年を経る。学生時代と比べて収入は増えているはずなのに、相変わらず金がない。
東京へ引っ越したことで生まれた数十万の借金を返済しながら、変わらず飯を食っていくための労働を続ける。
自分に価値を見出さなくたっていいけれど、せめてもの娯楽は忘れずにいたい。
そう思い立って、なけなしの金たちをかき集めて、大好きな音楽と、サッカーと、美味しい食べものにつぎ込む。
いつだって自分を救ったのは、そう。いつ死ぬかわからないのなら、理由もなく貯金する前に 今ここにある幸せに気づかないと。
そのために使う金なら、それで金がないのなら、それはもうしかたがない。
自分の機嫌は自分で取っていこう。それはそれで 大人だろう。

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