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一人暮らし バイト

一人暮らしを始めて早1年、という感じのブログをかこうとして早2ヶ月。生き続いてしまってかけていない。

実家暮らしの時は、大学に入って2年4ヶ月、早朝5時からの物流バイトを一筋で続けていた。早朝から力仕事だなんて、体も動かないし、精神状態が良くない時はしょっちゅう泣きながらこなしていた。退勤して家に帰ると部屋に閉じこもっては動けなくなった日もあった。けれども、職場の人たちのやさしさもあってなんとか続けることができていた。一人暮らしを口実に退職した。

一人暮らしを始めてから、慣れるまでは貯金でやりくりし、もとよりボランティア感覚で行っていた学内バイトを除き、2ヶ月くらい無職でやらせてもらっていた。大学の友達きっかけで個人経営のカフェのバイトを始め 飲食業デビューを果たす。といっても、チェーン店ほどの忙しさはなく、時折廃棄をいただいたりもした。接客に対する食わず嫌いというだけで物流の仕事をやっていたが、 2年4ヶ月間 力仕事をこなしていたことが馬鹿らしく思えた。

いまでは某ネットカフェでの早朝バイトをメインとして掛け持ちでやらせてもらっている。貯金もとうに尽きたので、食って生きていくための掛け持ちである。時に単発バイトをぶち込んで生活の足しにしている。さいきんは深刻な(?)人員不足により、当たり前のように早朝バイト連勤をこなしている。サイクル化しているし、夕勤の人たちがどうやらだらしないおかげで勝手に自分の株が上がっているので、謎のモチベーションを保つことができている。とはいえ、家に帰れば文字通りの虚無とともに、飯も食わず寝込むこともある。いま思うと、実家暮らし時代は泣きながらバイトをしても、家に帰れば愛おしい猫たちが迎えてくれたし、おつかれさまの朝食を親が用意してくれていたしで、おかげさまでなんとなく癒されていたと思う。実家から大学まで片道1時間半以上かかるので、バイト後は命懸けの身支度を済ませ 親に最寄り駅まで送ってもらってやっとの時もあった。まぁ どっちもどっちなのかな。でもいまは、業務自体は楽なことが多くても、家に帰ったってなにもないし、なんのために生きているんだろうと思ってしまったら終わりで、そんな感じで 終わり を常々迎えていると思う。さいきんは 9:00過ぎに帰って、寝て、17:00から掛け持ちのバイトに向かう、という日も少なくない。ほんとうに、なんなんだろうね、これ。

食って生きていくために毎日のようにバイトをこなしているのなら、すべてやめてしまえばかんたんに死ねるのかもしれない。カッターで指を切るくらいで泣くような自分だから、自分に力づくで刃物を向けることは望んでいないけれど、バイトから帰って寝ころんで天井を眺めながら、このまま死ねるのではないかと思うことは決して珍しいことでなくて。飯を食うのも、洗濯を回して干すのも、授業があれば身支度を済ますのも、やっとの思いで。無意識的に考えないようにしているのだろうけれど、生きているようでまったくもって生きていないこういう感覚って、無駄じゃないかな?単なる 辛さ とかではない、意味のわからない、別にいらないこの感じ。惰性でバイトしてんのか自分って。

サイクル化すればするほど、すっと落ちる時がある。燃え尽きはしないけれど、休むと迷惑をかけるからという理由だけでバイトに行っている感じがする。サボれるが休めない体質なので、どこかで抜かないと自分は死んでしまう。そんなこんなで、サボっても誰にも迷惑のかからないような授業をサボって心を落ち着かせていると、なんだか冷められたりもする。死ぬまで無理しろというような人がいる限り、これからも人は死んでいくと思う。世間的には現実逃避と言われるようなことが、誰かにとっては 生き続ける ための術だったりもする。一人暮らしを知って、それを知った。十分だと思った。がんばって生きてきたので、こうして否定されたら落ち込むけれど、こういう生き方を知ってからは、少しだけ気持ちを保てるようになった気もする。

そうして自分は、なんとなく 生き続ける ために、どうやら これからも 恐らく 惰性で、バイトに向かうらしい。

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