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中根駅が設置されるまで

中根駅は、大正2年に勝田・那珂湊駅間で開業した湊線は昭和3年に阿字ヶ浦駅まで延伸した後、すぐに設置されたと思ってましたが、勝田市史によれば紆余曲折があったようです。
駅名が決まった経緯も記載されていました。

湊鉄道としては中間駅を設けることによって、中野、勝田両村の利用客を鉄道に引きつけるとともに、中根の湯の利用者、部田野採石の運送、肥料運搬、農産物輸送等に便を与え、営業成績を向上させようというもくろみであった。会社が地元側に要求したのぱ土地と3500円の費用の負担であった。
これに対し、地元側では中野村長が「気乗りせざるより思はしからず」、勝田村柳沢の村議は「更に気乗りのせぬ様子であった」が中野村助役は「中間駅設置問題は既に会社との交渉も進んで、敷地三反歩と金壱千円を提供すれば、直ぐ設置すると云ふことになって居るが、その寄附金の支出が問題である」として、寄附金の折合いがつけば設置は可能であるとの立場に立っていた。
6年6月に入るとしだいに開設の気運も高まり、6月27日有志が湊鉄道館山支配人をまじえて箱屋温泉に集まり「財界不況の折柄とて一時的の仮停車場を設置し、待合室、便所位を置き、夏季中社員1名を配置し、乗客の利便を計る由にて7月25日より停車すること」に決定した。
駅名は場所が柳沢の土地であったが、費用負担の問題もあって館山支配人に一任され、その結果「中根駅」と決定された。

勝田市史

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