見出し画像

光西寺という地名の謎

三反田に周辺の小字名は天王前なのに、一部だけ光西寺になっている場所がある。すると実際に光西寺があったらしい。
その跡といわれている箇所(今はもうない)は、その昔カブトムシを捕りに行っていたところだった。

三反田にあった真言宗の正泉寺は「開基帳」に「寺、何年号に立申候共、知不申候」とあるが、観音について、
「此□木堂観音、天文拾九庚戊年、宥順と申坊主、二親菩提に十一面観音二体造立仕、其時、正泉寺住僧宥興と申坊主罷有候」
と伝えているので、正泉寺の開基は天文19年(1550)以前であったことになる。
「願行流血脈」に応永22年(1415)、宥尊の弟子宥待によって開山されたと
記されている湊の華蔵院も、「華蔵院沿革誌」によると三反田村より移ったと伝えている。また、竜泉寺、等覚寺などの寺院があったともいわれている。小字名にも光西寺があり、現在も佐七山福道寺の近くの畑のなかに寺跡と称する所がのこっている。
岡田の堂前や蜆塚の不動谷津なども寺院と関連した地名と思われる。

勝田市史
黄色で囲んだ部分が光西寺跡と思われる場所。緑で囲んだ部分が小字名が光西寺の場所

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?