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東海村JCO臨界事故から25年

少しばかり思い出話を。
当時は広報広聴課に所属していてひたちなか市HPを担当していました。事故後、災害の担当課から警報が出された旨のお知らせの掲載依頼があってトップページに第1報を載せました。そのときは少しばかり放射性物質が漏れた程度という認識で、退勤時には担当課から警報が解除されたと報告があり、その旨をHPに掲載して帰宅しました。

ところが帰宅後テレビを見ると、”臨界事故”であることが報じられていて、周辺10kmは屋内退避で交通機関もストップしているというではありませんか。これはいけないと、独断で自宅から更新(当時はダイアルアップ接続でした)することにしました。ただひたすらテレビの情報を転載していました。

翌日は市内撮影することになり、車で巡回。街中は誰一人歩いておらず車も走っていない。その静寂さは神戸南部大地震のボランティアで体験した街の静けさに匹敵していたことを覚えています。
10月8日に締め切りの市報記事も、輪転機で印刷しているメリットを活かして記事を差し替えることができました。他市町村は締め切りの関係上通常の記事だったはずです。

また、号外を急遽出すことになり、出稿まで時間がないことからテキストデータ入稿ではなく完成データで出稿することになり、当時個人的に使っていたドローソフトのMacromedia FreeHand(ご存じですか?)でEPSデータを作成・入稿しました。当時としては画期的だったと思います。

FreeHandで作成した原稿。Illustratorは高くて買えませんでした

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