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千々乱風

その昔茨城県ひたちなか市にある国営ひたち海浜公園のあたりは、青塚村、大塚村、二亦村の三つの村があって、沢田千軒といわれるほどたくさんの家が建ち、たいそう栄えていたそうです。ところが400年前の江戸時代に75日間も東北の大風が吹きつづき、家屋は倒壊したり砂に吹き埋められたため、三つの村の人々は三分し、大塚村から前浜へ、二亦村・青塚村から馬渡、横道坪へ移り住んだという伝説があります。
市報に掲載された物語を紹介します。

ひたちなか市と東海村にまたがる国営ひたち海浜公園内に、沢田と呼ばれる所があります。そこは、広い砂浜の中でただ一か所だけ、清らかな水が湧いていて、沢田川という小川が流れています。
むかし、このあたりに青塚村、大塚村、村の三つの村があって、沢田千軒といわれたくらい、たいそう栄えていました。村びとは、漁をしたり、海水から塩をとったり、田畑を耕したりして、のどかに暮らしていました。
江戸時代初めの元和3年8月19日のことでした。朝から天気も良く、海もおだやかでした。ところが、夜に入って海鳴りが不気味な音をかきたてはじめたのです。
「あの音なんだっぺ。高波でも押し寄せてきんだっぺが。じっちゃま覚えねえのげ」
「おらあ、90になんが、こんてなおだ聞いだごだねえな」
海鳴りは、古老も体験したことのない不気味さでした。
夜が明けるころになって、突風が吹きだしました。海はたけりくるったように荒れ、浜辺の砂を吹きとばしはじめました。沢田はそのころは砂防林もなく、広い広い砂浜だったので、ひとたまりもありません。砂はたちまち田畑を埋めつくしてしまいました。
風は次の日も吹き荒れました。村びとは、砂嵐の中を家族総出で、家の軒下に吹きたまる砂を取り除こうとしました。けれども、砂はたまるばかりで、75日間も吹き荒れて、村中の家もお寺も、ことごとく埋めつくしてしまいました。
家を失った青塚村の人びとは、馬渡村へ移り住み、二亦村の人びとは、長砂村横道へ、大塚村の人びとは、前浜村へ移り住みました。
「井戸さ入れ、川さ入れ、チチランプン」と、目に入ったゴミを取り除く呪文があります。この呪文は、当時村びとが、砂嵐がおさまるように唱えた呪文であったとも伝えられています。
市報かつた昭和61年6月25日号

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