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阿字ヶ浦の名前がついた理由

旧那珂湊市内にある阿字ヶ浦。なぜか勝田市史の史料にその由来がありました。以下要約します。

勝田市史編さん史料16 聞き語り勝田の生活史1から「海水浴場阿字ヶ浦の開発より」
…初めはテントを水戸から16張りくらい借りて「前浜テント村海水浴場」という名目でやりました。すると湊鉄道の支配人が来て「なるほど、海水浴場には良い所だから一つ私にも協力させてもらいたい」というので、テント村を止めてバラックの脱衣と休憩所を10ほど造りました。それが昭和2年。
その時に「前浜テント村海水浴場」の名前がおかしい。何か名称はないですか」というので「昔から茨城県は6つの浦に分かれていて、この辺は阿字ヶ浦というので阿字ヶ浦海水浴場はどうか。県南地方に霞ヶ浦があるのだから県北に阿字ヶ浦はどうだろう」といったら「いい名前だ」というので、初めて「阿字ヶ浦」という名前がつき、昭和3年に湊鉄道が延長して「阿字ヶ浦駅」ができたんです。

■海水浴場を構想した理由

  1. 昔は海水浴場なんて呼ばないから「水浴び」に来たものです。水はきれいだし遠浅。昔から死んだ人はいないほど。そういうところだから海水浴場にしたかった。

  2. 万葉集にここからの眺めを歌っていて「磐城山 直越え来ませ 礒崎の 許奴美の浜に 我れ立ち待たむ」という。この海岸をこのままにしておくことは、ここに住む者としてもったいない。

  3. 海水浴場を作って、外来者を呼んだら潤いが多くなるだろうことも併せて考えました。

日本一の来場者でにぎわっていました

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