干しいも(乾燥いも)が作り始められたときの話
ひたちなか市で干しいもが作り始められたときのエピソードが掲載されていました。要約したものを紹介します。
(聞きがたり勝田の生活史3から)
乾燥いもと大和田熊太郎
Q:家で農作業の手伝いをしていて、昼飯の話までいったんですが、午後また仕事をはじめて、夜は何時位まで?当時は。
〔A〕夜は10時前に寝たことないね。野良から帰るのが、暗くなってからだから。
Q:帰って来てすぐ、食事になるわけですか。
〔A〕帰って来ておふろに入って。おふろだって、五右衛門風呂なので板を敷いたのを底へしずめて、平地林から葉がらや木の葉の、枝がついたのを取ってきたのを燃やしてね。
Q:葉がらですか。山から取ってくるという、その山というのは。
〔A〕山って、ここら全部山だから。
Q:誰々の所有地ってことは。
〔A〕どこもぼさなんだから。この間葉がらを刈ったからねって、いや、どうぞ、刈っておくんなんしょ、だから。
Q:近くから、それも別に金で買うということではなくて、自由に刈りとってたわけですか。
〔A〕どこの山でもぼさぼさなんだから。葉がらはすぐに燃えるからね。
Q:しかし、薪はそうはいかんでしょう。葉がらだけでお風呂焚くんですか。
〔A〕風呂はたいてい葉がらでやって、そのがたまるでしょう。灰を肥料に使ったんです。肥料が足らないから。
Q:薪はあまり使わないんですか。
〔A〕薪は4、5年たってからだよ。薪を使いはじめたのは、さつまいもをふかす釜がロストルつきだから。釜を開けると、パチンてこう、ロストル付きになった時には、葉がらではだめなんで。
Q:それは4、5年後というのは、どういうことですか。
〔A〕葉がらでは、さつまをふかすのに時間がかかる。現在のように20俵も30俵も40俵もふかせないんだよね。葉がらは、ぼおうって燃えちゃって、また丸めて押しこんで、また丸めて、押しこみだから。
Q:今聞いている時期は大正8、9年で、東京へ出ていく前の話ですよね。その頃はまだ乾燥いもは、やってなかったんですね。
〔A〕いや、やってました。
Q:やってたんですか、その頃も。
〔A〕ええ。その頃はまだ薪でなかったんです。
Q:薪でなく葉がらで。
〔A〕やってたんです。「どべっつい」っていってね。壁と土をこねて、そいつに切りわらをきざんだので、屋外へ作った。大きく、ふたもなにもなく、ぼうぼうぼうって、煙が出て。ただ家の中ではやらないです。天気のいい日でないとできない。その頃の乾燥いもは。
Q:それから、4、5年って。その頃は、お帰りになっていたんですか。
〔A〕おれが体を悪くして、家にもどって来た頃には、薪を使っていたんです。ロストルで、パチンと。薪を5本でも6本でも燃やしてパチンとしめて。
Q:なるほど。
〔A〕当時はまだ乾燥いもは、カマス入れなんだよね。
Q:できた乾燥いもは、カマスに入れて売った。
[A〕ええ。ここが乾燥いもが古いっていうのは、大和田熊太郎さんが静岡へ行って来て広めて。うちの親父たちも静岡へ連れられて行ってきたから。
Q:一緒に、連れていかれたんですか。
〔A〕だから乾燥いもが始まるのも、うちは早かったんです。
Q:大和田熊太郎に連れていかれたと。当時は村長だったんですよね、大和田熊太郎は。どういう関係で、来いといわれたんですか。
A:それは、さつまだなんかを市場へ持って行った。長砂のさつまを取っていたから。
Q:さつまを取扱っていたから。
〔A〕そういう関係で。そして、日露戦争当時、大和田熊太郎の親戚の中にうちの親父らと一緒に兵隊に行った者で行ってきてたんです。5人か6人、行ったようです。
Q:それで帰って来て、さっそく試験的に。
〔A〕ポツリポツリ、何軒か長砂で始まったがあまり売れていなかったんじゃないかな。
Q:始まった頃は?
〔A〕自分が小学校に入る時は、やってたんだからね。
Q:入る時ぐらいでしょう。明治42、3年だろうと思うんです。大和田熊太郎が静岡へ行ったのは。
その時は、せいろは丸。今は四角でね。それで3俵半(約40貫=150キロ)くらいずついっぺんに。桶屋が作った丸せいろにかんざし持つところが付いていて、かんざしの上に簀の子を載せて、いもを載せる。かんざしを刺して、両方で持つようになっていたかな。2人で持っておろすように。今のように四角じゃなかったんだよな。それでさつまをのせる、その上にボロ着物、毛布のようなのをかぶせて、蒸気がもれるのでね、丸だから。そしてふた切ってふかしたんだよ。葉がら燃やすんだから、うちの中ではできない。煙たくていられないから。
Q:学校卒業した頃になると、かなり広まっていたわけですね。その時も、まだ、葉がらでやってたわけですね。その時期に作ったものは、どこへ売ってたんですか。
〔A〕その時は買い人が来たんじゃないかな。
Q:仲買人が来たんですね。
〔A〕問屋もなかったから、ここには。今は仲買人が10何人もいるかな。当時は仲買人っていうのはいないからね。
Q:買いに外からやって来て、庭先で値段を決めて。
〔A〕値段は、先の言いなりくらいのね。
Q:そうですね。言いなりの値段で買いたたかれたんでしょうね。
乾燥いも作り
Q:もう一度、大正時代の乾燥いもの製造について順に聞いておきたいと思います。朝、何時頃起きるんですか。
〔A〕1時2時だったよね。
Q:1時2時に起きて、まず、釜に火をつけるわけですね。
〔A〕釜に火をつけてね。釜についてなくてはいけない。葉からだから、ぼおうって燃えちゃうから。次から次と、杉の葉がらをついてて燃やすから。
Q:それは誰の仕事なんですか。
〔A〕それは、たいてい主人だね。たえず付いてて。釜やる人が変わるとだめなんだよ。生ふけしたり。簀の子で刺してみてこの辺りなら大丈夫だっていうのが、なかなか加減がわからない。今でもそうなんだよ。
Q:一番中心になる主人が釜につきっきりで。
〔A〕誰も手出さない。失敗したらたいへんだから。
Q:3俵半からのいもが入ってるわけですね。どの位でふけるものなんですか?
〔A〕昔は、どの位だか。今の蒸気でふかすのは、1時間でふけるんだよ。自分の釜はバーナーでやってるから1時間30分ぐらいだね。朝のひと釜だけは、時間がかかるんだよ。2斗なら2斗の水が蒸気になるまでね。2回目以後は、1時間10分か20分ならふけちゃうね。
Q:昔はどうですか。葉がらでやってた時には。
〔A〕葉がらの時は、時間がかかるんだよね。今のように能率は上がらなかったです。ふけすぎてとろとろになったらもうだめ。むくのにむけない。ごちゃごちゃになって。
Q:ちょうどいいころに。
〔A〕そう、それがコツなんですよ。でないと無駄が出るし。
Q:どの位かかったでしょう。倍位かかったんでしょうか。
〔A〕今は午前中に6釜やんだがんねえ、2つずつ重ねてね。
Q:だから、そうすると。
〔A〕昔は夜が遅かったんだよ。8時、9時すぎまで広げるのにかかる。
Q:今だと、4時か5時に起きて6釜を昼前までにやって。午後から広げると何時頃に終わるんですか。
〔A〕7時ちょっと前に終わる。
Q:7時頃まではかかるわけですか。午後ずっとやって。
〔A〕ええ、かかる。そして明日の釜の準備までして。それから、お風呂に入って
Q:昔だと8時9時位まで。
〔A〕8時9時の頃までかかるね。
Q:釜に火をつけて、いいころになって、ふけあがったと。それから、どうしたんですか。
〔A〕降ろすんだよ、せいろを。
Q:昔せいろは何段なんですか。
〔A〕一つだよ。
Q:簀の子は
〔A〕簀の子は中に一段だけ。だからふけてくると、重みで下の方がつぶれちゃう。せいろが丸い方が、ふかしについてはいいことなんだが、ふけすぎた時に、つぶれてしまうんだよね。今の角せいろはふかしについては悪い。丸いものより。だから、お餅つくんだって何だって、せいろは丸いんだ。そのかわり、潰れないようにパンとかまんじゅうは角の浅いせいろでね、並べただけのせいろをいくつも重ねて。あれは、潰れさせないため。四隅があるから角はふけが悪いんです。丸の方がいいわけだ。何でもお湯通すものは丸だよ。やかんだって、鉄びんだってね。丸っていうのはいいわけだよね。けれど潰れてしまうから。
Q:すだれを二段とか三段にしとけばいいんじゃないですか。
〔A〕そうすると量が入らなくなるから。
Q:そういう問題ありますね。
〔A〕量が入らなくなるからね。
Q:丸いせいろの場合一枚しかないと。確かに下の方は重みがかかって崩れるわけですね。
〔A〕それで角になったんです。
Q:角になったのはいつ頃なんですか。
〔A〕関東大震災で帰って来た時には、もう角になってた。丸使っていたところもあったけど。
Q:大和田熊太郎が行ってきて、それから乾燥いもがはじまったんですよね。それが明治40年頃です。すると、Aさんが生まれて3つか4つの頃になります。それから小学校に入るまで丸いやつでやってたの記憶ございますか。
〔A〕そう。
Q:学校卒業して、東京へ出て帰って来た時にはもう角になっていたんですね。
〔A〕角になっていた。
Q:そうすると、Aさんが学校卒業するのが大正8年ですから、2年位家で手伝いをしていたんですよね。その時期はまだ丸であった?
[A〕そう。
Q:大正10〜12年に、だんだん角に替わってきたということになりますね。いもがふけますね、ふけたいもを降ろして、それからどうしたんですか?
〔A〕むいたんです。
Q:何でむいたんですか。
〔A〕竹のへら。
Q:それは今のものと変わらないんですか。
〔A〕ほとんど変わらない。
Q:改良しているところは何もないんですか。
[A〕何もないね。
Q:竹のへらは自分で作ったんですか。
〔A〕皮をむくのにうちでの刃、のこぎりの刃を使ってるところもあるが、それでは肉をけずってしまう。だから竹のへら。こっち側と、こっち側をけずって、まん中の背を高くして。三角になってるからそれまでの程度しか、むけないようになってる。へら見るとわかるけど、そうできてんだよ。だから、力づよく、ずうっと押しても中にひっかけないようにね。ひっかけてしまうことは肉をけずるっていうことですよ。
Q:だれもがそういう道具をこしらえる?
〔A〕それは誰でも。乾燥いもやってる人なら。切れなくなると自分で作るから。
Q:へらで皮をはいで。
〔A〕それを乾かして。じかに日に当てないで。
Q:むいたいもを、どこへ干すんですか。
〔A〕箱の中へ入れて、あとは器械に通して。
Q:何ていうんですか、その器械は。
〔A〕「いもつき器」っていうんだね。
Q:器械っていうより道具ですね。
〔A〕そう、いもつき器。(木製の箱形で、上部に針金を一定の間かくで張ったもの)
Q:幅は決っているんですか。
[A〕二通りある。
Q:昔ですよ。
〔A〕昔も今もある。早いいもは薄い。
Q:線と線の間が細いんですね。
〔A〕そう。
Q:それから。
[A〕今時分、寒がしてくるっていうと今度は、糖度が出てしまうんだよね。甘味が。すると、さつまが柔らかいわけだ。そうなった時に厚くないと、さつまが壊れるんだよ。拡げるときに。
Q:なるほど。
〔A〕それで厚くする。だから、今、組合でつく道具は一定してあるんです。みんな二通りになっているんです。片側にも目盛りがあるし、片側にも目盛りがついて、両方にあります。
Q:片方やる時は、片方はずしてやるんですか。
〔A〕はずしてもできるし。いくつもあれば、それを使わないであげといて。そして厚いのを使う。
Q:それは、昔からですか。
〔A〕そうです、昔から。
Q:線は何でできてたんですか?
〔A〕真鍮です。今は鉄線だね。真鍮は今はほとんどなくなったんだね。
Q:上から押すだけなんですね。
〔A〕ええ。だがつき方もあるんです。むこうにこう押す人と、向こうからもってくる人とね。
Q:いい格好に崩れないように。
〔A〕そう。さつまがこう曲っているのをこうやったら、半分切れっちゃうわけ。さつまなりに工夫しなくちゃ。だから、つく人は一定なんだよ。うちでは自分一人なんだよ。
Q:熟練を要するわけなんですね。
〔A〕でないと、反対からついたりなんかすると。こういうひとべらが、取れるのを小さいべらにしてしまうんだね。曲ったやつを、こうついちゃうと。こうすると長いなりに。
Q:その辺のコツが必要なんですね。それでついたやつをすぐに広げるわけですね。
〔A〕ついたやつは、どんどんどんどん。そうして天日で干す。
Q:昔は、天日で干すのにどういうふうにしたんですか。同じですか、今と。
〔A〕いや同じだよ、昔も。
Q:簀の子で、
〔A〕簀の子で極細の縄であんてあるんだよね。細い縄。俵編むような縄でね。今はみんなビニール。まだ、うちでは、こぜ縄あるんだよ。まだ使ってるんです。
Q:その辺の近くの山からとって。
〔A〕今はずい分遠くまで取りにね。篠も以前は取ってくると干して皮をむいた。今はふかすんだよ、せいろで。4尺なら4尺の一定の寸法に切って、それをせいろでふかす。すると虫がつかない。
Q:ああ。
〔A〕そうでないと、古いのは虫がついちゃう。篠たけっていうのは虫がつくからね。
Q:全部干し終わるのに、さっきの話ですと、8時とか9時までになるわけですね。しかし、8時、9時はこまなくちゃならないんじゃないですか。
〔A〕晩までかかったやつは、もう広げる時間がない。日が暮れるから。そいつは明日用に重ねておくんだよね。夜、残業にやってるところでは、日中ほとんど、持ち出せないんだよ。家によってはね、一日はふかしと皮むき専門にやって、明日はつきと広げるのをやってるとこもあるんだよね。うちでは、午前中につきして、午後広げるけど。明日になって広げると、冷たいのなんの。手袋はめては広げられないから。一枚ずつ広げるんだから。お湯の中へ手つっこみつっこみでねえと、できないからね。その日にふかしたいもは、なんぼ冷たいっていったって、夜7時、8時までやったって、その割りではないから。宵のものを、明日やると冷たいんだよね。
Qな:るほどね。
〔A)夫婦2人位でやっているうちでは、1日はふかしと皮むき。明日は、つきと拡げるのやってる家もあるんだよね。だが、たいてい、ふかす終わりから手が間に合えば、どんどん広げるんだよ。今は、副業でなく本業でやってるところがあるんだから。どんどんよそから買ってね。阿字ヶ浦あたり行くと、さつまは作らないで、ほかから買って作ってるわけだから。
Q:はあ
〔A)企業ですよ。どんどんどんどん、他からさつま買って。
Q:季節としては冬じゃないと。
〔A〕寒くないとかびたり、くさっちゃうから。
Q:だから、どうしても、11月、12月、1月に集中しますね。
〔A〕何でもかでも。11月3日後でないといけないことになってます。その前にやっても、かびらせることになるから。
Q:干したものは、乾燥いもになるまで手がかかるでしょうか。
〔A)3日か4日たったら、今度はひっくりかえすの。その間は一方だけ干しておくの。
Qひっくりかえしたら、そのまま3日か4日。出したりひっこめたり出したりひっこめたりするんですね。
〔A〕今は5枚か6枚重ねて、夜はトタン板の屋根にしまうから。だからトタン板が3枚、4枚ずつ、そっちこっちに畑にあるんです。
Q:今は夜はこまないで、トタン板を載せて囲うわけですか。
〔A〕今はトタン板で。5枚だら5枚、6枚だら6枚、棚に目盛りがしてあるから、ここからここで半分。ここからここで何枚って。平均にいくように印しておいて、そこへ晩に、5枚なら5枚、6枚なら6枚、10枚なら10枚重ねてトタンでふたして。それで様子をみて、風が強いとか、雨が降るかって思う時には、トタン板の上から縄をかけて、しばって完全に。
Q:大正の頃は、そうじゃなかったでしょう。
〔A〕昔は容易でなかったですよ。みんな持ち込んだからね、物置に持ちこんだか、そうでなければ、みんな重ねてやったんだから。
Q:次の日、日が出てきたらまた出すと。
〔A〕そう、毎日。
Q:日にちのずれたものが一緒になったりすると、変わりますよね、でき上がりが。
A:そう。
Q:昨日のやつと、今日のが、混ざることになるから、いちいち運んでた時は、そういうまざったのができるということですよね。
〔A〕これ、おかしいのが入った、間違っちゃった、そうだとかこうだとかって。
Q:3、4日間位は同じ面を干す。
[A)静岡に行ったときは箱簀だったんだよね。小さく一人で重ねられるように。昔は。ただ、箱は乾きが悪いんだよ。今でも箱置があるでしょう。小さい箱でできたの。大口でやる時は、木枠がない方が乾きが早いんだよ。
Q:枠のない簀の子になったのは、いつ頃なんでしょう。震災で帰って来た時には、まだ箱であったんですか。
〔A〕まだ箱でね。
Q:戦後のことですか。
〔A〕いや、戦前だよ。部田野では、大きい簀の子を使った。以前は、棚を作らないで、大きい簀の子だから片側だけ持って棒で立てかけて。
Q:横にしないで斜めに。
〔A〕そう、斜めに。
Q:今はそんなことしないで。
[A)今は棚だね。その棚を竹でやっとく所と、木でやっとく所と。竹は割れるんだよね。3年くらいしか持たないね竹は。それで杉の棚にする。杉の棚なら10年や15年、なんともない。それを使ったあとで、その田んぼのおだかけになる。竹はどうも弱くてね。うちでも、まだ竹が残ってる。竹は割れるんだよね。
Q:できあがりは何日かかるんですか?
[A〕一週間かかるのもあるし。寒が強ければあがりが早いが、風のない日では一週間ではあがらない。
Q:風があった方がいいんですか。そして、天気もいい方が。
〔A〕そうです。風がない時はだめで。でも普通一週間っていうからね。
Q:それはもう、昔も今も。
〔A〕同じだね。陽気のせいだから。
Q:できあがったやつを、カマスにつめたわけですね。
〔A〕五斗ガマス。常陸太田あたりで織られたカマス。
Q:五斗ガマスに入れて売るのは、どこへ、どうしたんですか。
〔A〕買い手が来たんです。仲買いが入って来て。最初の頃は、業者は静岡あたりから、運んで。
Q:静岡から来たんですか。
〔A〕静岡だね。
Q:まだ、こっちの地域は始ったばかりでしょうから、わからないっていうか、仲買い人が成立する余地がないでしょうから。むしろ静岡から買いに来てたんでしょうね。
〔A〕ところが、静岡産は糖度がないと。茨城の乾燥いもは糖度があると。土地の関係で静岡の甘藷は甘みがないのは確かだ。乾燥いもにして糖度がないの。土地柄なんだね。
Q:土地柄でこっちの方がよくて。本場がこっちになったと。
〔A〕茨城の特産物っていってもね、那珂湊を中心にして、大洗、阿字ヶ浦とこの辺だけだよね。
Q:まさにこの辺だけのものですね。
〔A〕ほかでだめだっていうんだから。ずいぶんここからさつま苗なんか持っていっても、さつまが育たねえって。甘みがねえっていうんだから。ここのは少しあったかい日に、こういうふうにビニールに入れておくと、まっ白に粉がふいて、こういう風にでてきっちゃうんだから。
Q:今の種類は何ていうんですか。
〔A〕玉豊。
Q:昔は何だったんでしょう。
〔A〕いろいろあったものね、昔は。今までは、髙系でも作ってた。黄色いいも、あれがダメだっていうことになった。
Q:それで白いいも。
〔A〕黄色いいもや、茨城一号なんていう、水いもだなんていうので作ったり、まちまちだったんだね。品種の統一っていうのは組合ができてからだね。組合ができてからさえも、業者は高系の玉の大きいやつね。あれは食料にしても安いからって、乾燥いもにしたんだよ。業者が。ところが、業者から売れゆきが悪い、あれは甘みがなくてうまくないというわけで、それで作らないでくれ。あれで作ったやつは買いませんっていうことになって。那珂湊が中心になって、組合ができて東海も入ってんだよ乾燥いもは。押延だの須和間も入ってる。みんな那珂湊管轄だから。
Q:もう一度もどりますが、土べっついっていうのは、外でやったんですね。
〔A〕外で葉がらだから、ぼおうぼおうだから外で。だから、雨の日にはできない。
Q:朝一時位に起きるんですから寒いですね、外だから。
〔A〕寒いよ、ほおかぶりで、ぼろ着物着て。その当時は、それほどやってないからね、長砂だって。今のようには。できたさつまをそのまま売ってたんだよね。ところが、さつまを現物で売ったのでは価格が高く付かないと。で、加工して売ればこれこれになると熊太郎が宣伝して、これまでになったんだよ。
Q:その土べっついから、今のようになるまでの釜っていうのは、どんな釜なんでしょう。
〔A〕つば釜を使わないで、しら釜だったんだよね、以前は。
Q:へっついは?
〔A〕へっついはやっぱり同じだよ。
Q:ずっと外だったんですか。
[A〕葉がら燃す時分は外でやってたね。家の中は煙くて、どうにもならないからね。
Q:薪になって屋内でもできるようになった?
〔A〕そうそう、薪、石炭は。
Q:石炭が入ってくる時分になると、へっついの格好っていうのは、どんな。
A:今度は口が違うの。ロストルつき。パチンとふたをするような。石炭はロストルでないと燃やせないから。
以上。
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