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悪いこと言わないから、2025はこれやで。

おかげさまでノートも20記事くらいに到達できました。
たまにもらえるいいねに画面越しでニヤニヤしてる私を想像してください、気持ち悪いでしょう。そんな感じです。


2025年、変化のスピードが昨年と比べてより一層加速していき、スピードは今までの変化とは全く比べ物になりません。自分の年などとは関係なく、歴史的に見て中々大きな大転換になっていると感じます。いや、感じる。

AIによって生まれる更なる無力感

今まで頑張ってきたことは、ほとんど無力感と喪失感に変わっていった。
計算、暗記、文章作成、プログラミング、折衝。
一部を除いて、本格的に「仕事のために生きる」という固定観念的なものがなくなります。代わりに出てくる「志事」では、本当に世の中こうなったらいいのになどと大きな夢を掲げた一部の天才たちが随時、世の中に実装していくのではなかろうかと思います。
働かなくても食っていける(?)時代、そんな時代に突入している中で、急に仕事から放り出されたら、私たちはどうするのでしょうか。

人間側が準備できていない

とお考えの方がいたら、気が合いますね。
私はこっち派の意見でして、急に仕事やら何やら何もしなくていいとなったとしたら、「生きがい」がなくなって体たらくな人生になってしまうだろうなと思います。苦しいことをして対価をもらう体に慣れきってしまっているので、何もしなくていいと言われたら残るのは「報酬感のない、ただただ日々を堕落して過ごす人間」にしかなり得なくなってしまうんです。特に我々において苦労は美徳とされますから、AIとの共存社会、などというのはもう少し先の話にはなるんでしょうけども。

何をやってもAIには勝てない。じゃあどうすればいいの?

勝利による欲求が欲しい人類に関して言えば、もはやほとんどにおいて「勝ち」はないと見ていいでしょう。ですが、「人間がやることの価値」は引き続き継続されます。そういった意味では、勝ちもあるんでしょう。

自分が生まれた意味を改めて考え直す時代が来た。

こんな風潮になるのが2025だと思ってます。
散々馬鹿にされていた自己啓発なども段々と受け入れられ始め、昨今ではアートと哲学が人類にできることだ!なんて叫ばれたりもしていますね。
でも本当にそうだと思っていて、「本当に思慮深いうわべじゃない人間」がようやく日の目を浴びる時代になるんじゃないかな、なんて思ってます。

考え直すとしたら、過去の自分に会いに行かなきゃ。

今の自分の考えだけで何かを決めようと思うと、どうしても都合のいいように改変されている記憶の断片でしか判断ができません。それよりも、せっかくAIによって労働時間が減るのなら、じっくりと落とし物を探す旅に出かけてみるのはいかがでしょうか。
今までの旧友に会うのもよし、地元に戻ってみるもよし、昔通っていた喫茶店で同じ席が空くまでひたすら立ちんぼするのもよし、こんな感じです。

とにかく、回帰がテーマになるのが2025だと思うので、回帰のサービスを一目散にやりまくります。みんな、過去に戻ってくれ。絶対に新しい何かがある。

Remoi:Tig

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