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ブランデー・クラスタ

作:沫雪

美しいと思った。

グラスを持つその指先を。ボタンがきっちりと上まで留められたシャツから覗く首筋を。煙草を咥え外を見遣る横顔を。

「愛してる」と嘘を吐く、その形の良い唇を。

美しいと思った。


深夜零時の街は明るい。煌々と光る看板に行き交う車のヘッドライト、消えかけのネオン灯。外は嫌というほど光に満ちているというのに私の気分は重たく沈んだままだ。


“今夜、日付が変わる頃に”

たったこれだけの文面で伝わると思っている相手にも、それを理解してどこに行けばいいのか分かってしまう自分にも腹が立つ。

暗闇で光った液晶体には、0:07の数字が示されていた。…少し遅いが許容範囲。反吐が出る。それでいて誘いを断ることはできないのだから目も当てられない。あきらめたように息を吐いてドアを開けた。


「遅かったね、もう来ないかと思ってた」

カラン、と音を立てて開いたドアをくぐると同時に、聞きなれた甘い声が鼓膜を震わせた。蜂蜜色の柔らかそうな髪の毛の奥、蕩けるような熱を持った瞳を覗かせた男がこちらを見つめている。いつもは賑わっている店内には誰もおらず、BGMもかかっていない。

「―そんなことできないって、知ってるでしょう?」

店内にしまわれている看板に書かれた文字に目をやりながら答える。

【定休日:毎月第三水曜日】


「まあね。さ、何飲む?」

今なら珍しいリキュールもあるよ、取り寄せたんだ。そう言ってカウンターに向かう彼の背中に掴みかかりたい衝動を抑え、カウンターに座る。

「ブランデークラスタ」

きっとこの言葉の意味も、彼にはお見通しなのだろう。我ながららしくないとは分かっている。彼は少し動きを止めた後、クスリと笑いこう言った。

「―仰せのままに、my lady」


傷一つない細い指は無駄のない動きで材料をシェイカーに入れ、グラスの淵に砂糖をあしらう。目の前に置かれたグラスには、らせん状のレモンピールが沈んでいる。


「じゃあ僕はー」

ジン、パルフェ・タムール、レモンジュースに氷を入れてシェイクし、最後にレモンピールを絞り入れる。出来上がりグラスに注がれたのは、夜空を切り取ったような酷く美しいカクテル。ああ、やっぱり彼はいつだって全て見透かしていて、そして私の願いを聞いてはくれない。


乾杯、とグラスを合わせ唇に運ぶ。砂糖の甘さとレモンの香りに眩暈がしそうだ。

既に自分のカクテルを飲み干した彼は、私が飲み終えるのを見つめて手を差し出す。

 「どれだけ強く握ったって、日が昇る頃には私1人置き去りにする癖に」

 ぼそりとつぶやいた私の言葉を知ってか知らずか、彼はカウンターの上にあった私の手を取り店の奥に続くドアに足を進めた。

 「ここから先は、部屋の中で。ね」

 唇を指でなぞり額にキスをする。目の前にいるのは、欲情で瞳を濡らした一人の男。


 「愛してる」

 部屋に入ると同時に囁かれた言葉。ドアが閉まる音をどこか遠くに聞きながら彼の唇を受け入れる。


 美しいと思う。

 私に触れるその指も。剝き出しになったその首筋も。私を翻弄するその横顔も。

 美しくて、大嫌いだ。


ブランデー・クラスタ

時間よ止まれ

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