歯車と花
男は、いつも少しだけくたびれたスーツを来ていた。
そして、平日必ず同じ乗降口で電車を待つ。
7:44、その電車は時刻通りやってきて、
彼を含む多くの無表情の乗客を乗せて
当駅を出る。
毎朝毎朝の繰り返し。
夏も、冬も、春も、秋も、
7:44、その電車は必ず時刻通りにやってきて、
多くの乗客を吐き出し、飲み込み、
当駅を出る。
男はくたびれたスーツを着て、
自らがこの電車に乗る意味を、一度も問うことなく、ただ乗っていく。
なぜ自分はこの電車に毎日乗って仕事に行くのか。行かなければならないのか。
その決断をしているのは紛れもなく自分自身だと言うことにすら気づかず、
まるで社会の歯車であることに全く疑問を持たず、
くたびれたスーツを着続け、心まで自らをくたびれさせてゆく。
その電車に乗らないというのも、己の意思でできるということも忘れ、
7:44発の電車に、今日も乗る。
社会の歯車であることに疑問を持たせないのは、
果たして己のせいだけなのか、
社会の歯車であることを当たり前のように武器として掲げている、
この社会の所為なのか。
男は、問うことをもう何年も前にやめた。
男の目は、虚ろだった。
その男に無関心な人々の群れ。多くの人は目の前の小さな機械に夢中、
いや、夢中というよりも、その中に自分の「しあわせ」とでもいうようなものを
無理やり見つけようとしている。
虚ろな目の男に、一切気づくことも無く。
―――
ある日の、乾いた空気の、朝だった。
くたびれたスーツの男は、今日は、いつもに増して目を虚ろにさせていた。
そして、
7:44、その電車は時刻通りやってきて、
多くの乗客の悲鳴をこだまさせ、
当駅で、運転を見合わせた。
他者に無関心な人々の群れは、全員がその一瞬だけ、目の前の現実を見た。
―――
その日、社会の歯車が、ひとつ欠けた。
その事実をかき消すかのように、別の人間がやってきて、「元通り」にした。
電車は数時間後に動き出し、
歯車の欠けもじきに埋められよう。
そんな代替の効きすぎるこの社会。
やはり毎朝7:44、その電車は必ず時刻通りにやってきて、
多くの乗客を吐き出し、飲み込み、
当駅を出る。
電車のホームには吐き出された人。人。
人々が、ホームを去り、次の人間たちが来るまでの、その一瞬。
静かになったホームの奥、地面。
小さな小さな花が、添えられていた。
くたびれたスーツの男は、もういない。
だが、ホームには、
男がそこで人生を終えた証が、生きた証が、
誰かの手によって、のこされていた。
「歯車と花」
作:まゆこ
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