~凶器! 狂乱のヒールたち~ vol.1
リングに叫び、拳を突き上げたあの日。今もこの胸に燃えさかる熱き炎のファイターたちをイラストとエッセイで綴るプロレス讃歌!
~凶器! 狂乱のヒールたち~ vol.1
全国のプロレスファンの皆様こんばんは。『週刊アイアンクロー』編集長のチャーシュー・タケです。今週は“生傷男”ディック・ザ・ブルーザーです。
●殴る蹴る、また殴る蹴る、そして殴る蹴る。~最凶のケンカ屋に震え上がる~
“生傷男”ってうまいキャッチですよね。これも桜井さんなのかな。そのファイトスタイルは、殴る、蹴る、踏みつぶすといったブルファイト一辺倒で、唯一の必殺技は「アトミックボムズ・アウェイ」。それでも良かったんですね、昭和は。ブラウン管からもその迫力は十分伝わって来ました。日本のマットに登場したのが昭和40年(1965)。後に知って驚愕するのですが、この当時はアメリカではもっぱらベビーフェイスとして活躍していたそうな。しかし、日本では極めつけの“悪党”としてテレビ桟敷の子供たちを震え上がらせました。今にして思えば、力道山時代からの流れで、極悪非道の外人レスラーの凶行に耐えに耐えての反撃に出る、そこで観客の興奮は最高潮に達する!というお決まりの展開こそがこの時代のプロレスの真骨頂であったわけです。そんな「昭和プロレスのヒール」という大看板を背負ったひとりが、ディック・ザ・ブルーザーでした。ジャイアント馬場とも死闘を繰り広げました。インターナショナル王座決定戦は、二本ともブルーザーの反則負けでしたね。そのラフファイトはそれはそれは半端じゃなかったです。今なら“放送事故”にもなりかねませんが、観客たちは大興奮の中で熱い声援を送ったのです。私も子供ながらに心底怖いと思ったレスラーでした。その恐怖をさらに煽ってくれたのが、プロレス実況アナウンサーでした。その草分け的存在が、日本テレビの清水一郎アナでした。あの徳光和夫の先輩であった彼の「声」は、外人レスラーたちのヒール度を数段にも高めたものです。清水アナが発する「ディック・ザ・ブルーザー‼」というメリハリの利いた口調が、よりいっそうブルーザーの冷徹さを増長させて私の胸の鼓動を走らせたのです。あぁ、懐かしきかな清水節!
◼️『プロレスダイアリー甦える鉄の爪』は隔週木曜日に更新します。