~猪木に牙を剥いた男たち~ vol.1
リングに叫び、拳を突き上げたあの日。今もこの胸に燃えさかる熱き炎のファイターたちをイラストとエッセイで綴るプロレス讃歌!
~猪木に牙を剥いた男たち~ vol.1
全国のプロレスファンの皆様こんばんは。『週刊アイアンクロー』編集長のチャーシュー・タケです。今週は“金髪の妖気”ジョニー・バレンタインです。
●あなたの毒針エルボー・ドロップを生で観たかったです。~ジョニーへの伝言~
ジョニー・バレンタイン。名前がカッコいいよね‼ 往年のプロレスファンにとってはハリウッドスタアの響きです。アントニオ猪木の歴史を追えば、行き着くのはジョニー・バレンタイン。そしてもう一人が豊登。彼は、力道山亡き後に日本プロレスの社長になりますが、依存症とも言えるギャンブル狂が災いして追放されます。猪木にとっては兄貴分的先輩レスラーであった豊登の口車に乗せられて日本プロレスを飛び出し、新たに立ち上げたのが「東京プロレス」という団体です。昭和41年(1966)、猪木23歳の春でした。テレビ局もつかない新団体の社長兼看板レスラーとして激流に乗り出した猪木。後の壮絶な人生を暗示させます。その記念すべき旗揚げ戦の相手として白羽の矢が立ったのが、ジョニー・バレンタインでした。しかしながら、テレビ局がつかないので映像はありません。この時期にふたりが残した“名勝負数え唄”は伝説となってしまったのです。残念な事にこの「東京プロレス」は、案の定と言うべきか、実質的な“親分”である豊登のまたしてもの金銭トラブル等々によって、わずか3か月で崩壊してしまいます。その後、紆余曲折を経て、猪木は日本プロレスに復帰。猪木とバレンタインの“幻の3か月”は神話となってしまいました。やがて、バレンタインも日本プロレスのマットに上がり、猪木とも再度死闘を繰り広げました。
彼の代名詞の技が「エルボー・ドロップ」です。“毒針”と恐れられ、真上から振り下ろす一撃は強烈で、特にエプロンサイドに追い詰めてからロープを背にさせて相手の胸元や喉めがけて放つと、ドキリとするような痛々しい音が響き渡るのです。汗に濡れた金髪を振り乱しながらの冷酷な瞳が魅力的で、多くのファンの心を掴みました。
だけど・・・、やっぱりあの東京プロレス時代のふたりの名勝負が観たかったね。
誰か持っているんじゃないかなぁー、ずっとそう思っていた。猪木が亡くなったタイミングで、『発掘秘蔵映像 東京プロレス旗揚げ戦。猪木vsバレンタイン 幻の名勝負が今、甦る!』
との題名で、DVDが発売されるのを期待していたが、それも幻であったようだ。さすがの竹内宏介さんも8ミリカメラ、回していなかったんかーい!
◼️『プロレスダイアリー甦える鉄の爪』は毎週木曜日に更新します。