~凶器! 狂乱のヒールたち~ vol.3
リングに叫び、拳を突き上げたあの日。今もこの胸に燃えさかる熱き炎のファイターたちをイラストと
エッセイで綴るプロレス讃歌!
~凶器! 狂乱のヒールたち~ vol.3
全国のプロレスファンの皆様こんばんは。『週刊アイアンクロー』編集長のチャーシュー・タケです。今週は“狂犬”マッドドッグ・バションです。
●小柄な狂犬は相手かまわず牙を剥く ~希代の極悪ファイターは元五輪代表~
1948年のロンドンオリンピックにレスリングのカナダ代表として出場し、その2年後プロレスデビュー。5年後には強烈なヒールとして暴れ回り、AWAの“王様”バーン・ガニアを破ってAWA世界王座を獲得するまでに躍進します。その後はヒールとベビーフェイスを使い分けるようにして長くリングで闘い続けました。178㎝と小柄ながら、アマレスで培った強固なテクニックと驚くような底なしのスタミナの持ち主として、眼の肥えたファンはもちろん、レスラー仲間にも一目置かれる存在だったといいます。さて、国際プロレスがここに来てまたぞろ再評価の動きがあり、昭和プロレスファンとしては嬉しい限りです。国際プロレスの功績のひとつに、AWA圏、とりわけヨーロッパのまだ見ぬ強豪の招聘がありますが、このバションもそのひとり、と書いて一応調べてみると、昭和44年(1968)の日本プロレスが初来日でした。しかし、私の印象は国際のバション。IWAのシングル、タッグに輝いた実力はホンモノでした。その名の通りの“狂犬”ぶりで強烈なインパクトを残しましたね。あらためて、この時代の外人レスラーたちを思い起こす時、プロレスそのものの歴史の差を感じずにはいられません。今でこそ日本のマット界も世界に名高いものになりましたが、昭和40年代における日本のプロレスは、彼らのような強烈無比なヒールたちがあってこそでした。「悪役」としての演出力や、機を見るに敏な反側技のタイミング。日本人にはおいそれとは真似の出来ないショーマンシップに満ち溢れていました。はるか昔の事ですが、小学生の時、地元の区立体育館にてマッドドッグ・バションの試合を観ました。リングサイドに駆け寄った際に、彼に追い駆けられて肝を冷やした想い出が甦ります。
◼️『プロレスダイアリー甦える鉄の爪』は隔週木曜日に更新します。