無力感と、ともに歩む
大晦日の夜に一通のメールを受け取って、
大切な方が、昨年体調がおもわしくなく、
今も治療中だということがわかりました。
2023年に日付が変わった瞬間に
真っ先に彼女のことを思う自分に気づいて、
やっぱり彼女は私にとって、
とても大事な人なんだなあ、
と改めて気がつきました。
メールを受け取ったとき、
愛しかない人なのに、
今もこれからも、大事なお役目がある人なのに、
神様はなんて酷なことをするんだろう、
となんとも言えない気持ちになりながらも、
彼女は、病気が分かってからここまで、
いろんなことに向き合って、苦悩して、
いろんなことを受けとめてきたのだろうな、
と思い、私も受けとめることをしよう、と思いました。
元旦、一人時間ができたので、
手の痺れがあるのにとても丁寧なメールを
送ってくれた彼女にお返事をしようと思い、
ファミレスに入ったら、
今もし目の前に彼女がいたら、
しくしく泣く私を、きっと優しく
抱きしめてくれるんだろうな、
自分がしんどいのに、と想像して、
涙が止まりませんでした。
彼女のことを思うとき、いつも感じるのは、
彼女ほど、どこまでも大きく深い人間に、
自分はこの先なれるのだろうか、ということです。
そんな人に人生において出会わせてもらい、
共に大切な時を積み重ね、
今もなお、こうして彼女の存在自体が
影響を与えてくれている、ということは、
なんてありがたく、尊いことなのだろうと感じます。
大切な人が、
人生においてとても大変な時にある時、
自分はとても無力だと痛感します。
そして、その無力感が、
私の半分を占めていることを知っていて、
もう半分の私からは、願いや思いが
止まることなく溢れ続けていて、
この両方の自分があるから、
私は私なのだなあ、と実感しています。
今年のお正月は、19歳で亡くなった
妹の23回忌でした。
無力感を自分の一部として抱きながら、
自分をフルに使い生きることを
今の私ができているのは、
紛れもなく彼女の存在があるからです。
おねーちゃんは、
この自分で、これからも生きてくよ。
見ていてね。
手を合わせながら、妹にそう伝えました。
様々な変化の中にあるご家族と
共に歩むパートナーである、
というとき、この私としてあることが
とても大事だと感じています。
私ができることにはとても限りがある。
もしかしたら、何もできないかもしれない。
という前提に立ちながらも、
そして、共に創り出せることがきっとある、
と願い続けることができるからです。
2023年。
この私でありながら、
ご縁を頂いたご家族と、
共に歩む1年にしていきたいと思っています。