自分をチョット理解した

ずっとさ。
「死」に対する興味がめちゃくちゃありまして。

特に第二次世界大戦時のドイツと日本のコトに強く興味がある傾向。

ドイツいたときは、やたらと強制収容所とか行きたがる高校生だった。
ドイツ国内の強制収容所は、何箇所か回った。
アンネ・フランクが最後を遂げたと言われているトコロにも行った。

そしてそれは、ドイツ国内に限らず。
フランスのノルマンディーにも行った。
ポーランドのアウシュヴィッツ/ビルケナウにも行った。
アンネの家(博物館)にも行った。
ほかにも色々と回ってる。

授業で第二次世界大戦時の日本とドイツのコトを勉強した。
社会科見学で強制収容所にも行った。

とにかく肌で感じたかった。
実際に行って、自分の目で見て、確かめて。
空気を感じて、空間を感じたかった。

そして、両親は、それをすべて叶えてくれた。
本当にありがとぉございます。感謝しています。大好き。

今思い返せば、とてもユニークな高校生だったな。苦笑

今も変わってないんだよね。
「死」に対する興味だったり、それに関係するコトへの行動力だったり。
正直、自分でもなんでこんなに「死」に興味があるのかわからなかった。

たぶん、小さい頃に「自分はいらない子なんだな」って盛大な勘違いをしていたのもきっと拍車をかけているんだと思う。

ただね。
勘違いしてほしくないんだけど、「死にたい」とか、決してそういうコトぢゃないの。
死にたくはない。自分からは死なない。

ただ単に、「死ってなんなんだろうな」っていう素朴(?)な疑問。

で、最近気づいた。

こんなにも「死」に執着していたのは、きっと、自分が「生きている」っていうコトを感じたかったからなんだって。

ものすごく「生きたい」って心の奥底から思ってるんだなって。

わかったの。

ぁぃは、生きたいのよ。
死ぬまで全力で駆け抜けていきたいの。
「生きた!!!!」って笑顔で死にたいなって思ってるんだって、気づいた。

死ぬために生きるってホントなんだね。

反面教師もいいところだけど、この感性は死ぬまで大切にしていく所存。

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