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甚五郎のキャラクターデザイン

江戸時代に活躍したとされる左甚五郎。なぜ左と呼ばれたのか、その言われは様々あるようである。

  • 地元の大工に腕の良さを妬まれて右腕を切り落とされたため「左」と呼ばれるようになった

  • 左利きであったために「左」という姓を名乗った

  • 生まれが飛騨高山で、「飛騨高山」がなまって「左」と聞こえたため左の名を名乗った

  • 彫刻の腕が長けており、右に出るものはいないため、左と呼ばれた/名乗った

前回の川村監督のエピソードにもあったように、甚五郎作品と言われのある作品は、日光東照宮の「眠り猫」を筆頭に今でも日本中で見ることができる。しかしその制作年代は約300年間に及ぶため、もしかすると「左甚五郎」とは一人ではなく、各地で腕をふるった工匠たちの代名詞として使われたのではないか...などとも言われており、非常に謎多き存在である。
江戸時代、左甚五郎が彫った彫刻には魂が宿ると言われていたそうだ。夜な夜なその彫刻が動き出すのだという噂話が全国に広まり、現代まで講談などで甚五郎の逸話が語り継がれるようになったのだという。

そんな甚五郎をどう描くか。今回のキャラクター設計は、共同監督の小川のスケッチからスタートした。
川村監督がイメージしていた「大きな義手」「カッコ良すぎないキャラ」というキーワードを聞き、小川の中では「巨漢」なビジュアルが頭に浮かんだとのこと。ある程度デフォルメをきかせた方がよいと感じ、まずは体型から考え始めていき、一目で見て強そうなシルエットが特徴的なこのファーストスケッチを描き上げた。

小川のスケッチ第1稿
小川のスケッチ第2稿

どこまでデフォルメするのか、どこまでリアルさを残してどこまでファンタジーさを許容するか、物語上もキャラクターデザイン上も常に鬩ぎ合いだった。またパイロットフィルムを見ると一見凶暴なキャラクターにも思われがちな甚五郎だが、実は悲しい過去があり、それがきっかけで右腕も失い、今回の戦いに挑んでいるという背景もある。決して凶悪なだけではない甚五郎のバックグラウンドをどう表現するかは試行錯誤が続いた。

小川のスケッチ第3稿

苦労してきた雰囲気を出すために少し年齢を上げ、初老の設定することになった。その過程で小川が描き込んだメガネが知的な印象を与えてくれ、チームの思い描く甚五郎像を作ることができた。
最初に描かれた「ゴツい体格」「四角い背中」というイメージや、「上体がでかくて、足は短くて細くて華奢」というフォルムも、最終的な人形に受け継がれる要素となった。

小川のスケッチ第3稿と、甚五郎のパペット


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