INTERVIEW with the artist 真っ新な世界に現した頭角 -人生の文脈をたどる- #2
"INTERVIEW with the artist 真っ新な世界に現した頭角"、クリエイティブ系制作チーム、team Alliesのメンバーが夢を持って挑戦するアーティストの方々にインタビューをさせていだだく連載コラム企画です。
INTERVIEW with the artist第二弾。
今回インタビューしたアーティストはBLACCというコーヒー事業団体の創設者であり、Enというコーヒーショップの経営者でもある、バリスタ山中英偉人(23歳)
黒を身に纏いコーヒーを淹れる姿は謎に包まれている。彼の考え出すコーヒーに対するアプローチとその生き方に迫る。
今回、Enでシーシャと飲み物を頂きながらお話を伺った。大阪から東京に旅立つ直前の、急なオファーにも快く応えてくださった英偉人さんに心から感謝しつつ、贅沢にも気になる質問を思う存分させていただいた。
●記者「バリスタのお仕事の内容はどのようなものなのですか?」
未だに自らバリスタと名乗ると違和感が残るのですが…(笑)
というのも、バリスタという言葉の定義が曖昧で、10年間美味しいコーヒーを追求してきた方から、大手コーヒーチェーン店でエスプレッソマシンを触りたての方までを指す言葉になっていて。
僕の場合は、お店でコーヒーを淹れて提供することをはじめとして、コーヒーを学べる機会を作ったり、コーヒーを使って人が集まってコミニュケーションできる機会を創出したりしています。
“自らバリスタと名乗ると違和感が残る”
この時の言葉が、のちに語られる話へとつながっていく。
●記者「コーヒーに出会ったきっかけを教えてください。」
飲めるようになったきっかけはマクドナルドです。マックで友達はブラックのコーヒーを頼んでいたけど、自分は頼んだことがありませんでした。サラッと「ブラックで。」というのがかっこよくて興味本位で「僕もシロップいらないです。」って言ったのが初めてブラックのコーヒーを頼んだきっかけです。その時のコーヒーは苦くて飲みにくい飲み物で、本来の目的からはズレたところでコーヒーを注文していました。
それから二年が経って大きな転機がありました。
夏に東京へ旅行に行ったとき、歩き疲れて近くにあったコーヒースタンドでアイスアメリカーノを注文しました。のどが渇いていたこともあり、革命的に美味しく感じました。今まで飲んだコーヒーと何が違ったかというと、苦みではなく、酸味を感じたことでした。
その後大阪に帰って疑問だったのが、大阪で同じようにコーヒーをくださいと頼んでも、東京で飲んだコーヒーと同じものが出てこないこと。コーヒー専門店に行きプロのバリスタさんが紹介してくれたお店で同じ説明をしたけど、なかなか酸味のあるコーヒーには辿り着けませんでした。結果的になぜ辿り着けなかったかというと、オリジナルブレンドだったからでした。
行った店でお勧めの店を聞くことを繰り返し、色々なコーヒー屋さんを訪れました。そんなこんなしているうちに、自分がどんなコーヒーが好きなのか分かってきた。結局そのコーヒーに辿り着くためにもう一度東京の同じコーヒー屋さんに行ったけど、当初のもやもやは好きなコーヒーを知るうちに薄れていました。
◆バリスタを目指すきっかけ
その過程で自分にとって大きな出来事がありました。それはお母さんが病気になったことです。なるべく母から離れた場所に住みたくなかったので地元にできたコーヒー屋さんでコーヒーを学びました。母は僕が一つの物事に一生懸命に取り組んでいる姿を見ることが好きだったし、ここでアルバイトをしたら楽しみながら働けると思い、それからバリスタを目指し始めました。
◆バリスタになるまでの過酷な道のり
僕は当時コーヒーを学んでバリスタになることができましたが、それだけで満足することはできませんでした。
先ほど話したコーヒー屋さんで雇ってはいただけましたが、いわゆるバリスタとして働けるようになるまで半年かかりました。なぜかというとバリスタは技術職だからです。
職人として質の高いのものをお客さんに提供できなければお店に立たせてもらえなかったので、そのための修行の時間がありました。
その修業は過酷なもので、同僚の人たちは途中で辞めていきました。毎日コーヒーを淹れ比べてレポートするというノルマのもと淹れ方を練習していました。深夜遅い時間に閉店後のお店で練習することもよくありました。半年かけてようやくバリスタになり、自分でコーヒーを出せるようになりました。バリスタになるためにここまで努力を重ねコーヒーに対する強い想いを持っていたので、それを発信することでアウトプットしたいと思っていました。
◆BLACCをつくったきっかけ
コーヒーを通して誰かと繋がりたいと思いBLACCという事業団体を立ち上げました。
BLACCは当初“Barista League And Coffee Circle” の略称でインカレサークルとして始まりました。バリスタの集まりかつコーヒーのサークルという二つの軸を持っていました。
●記者「サークルとして始まったということは、最初は事業としてやっていくつもりはなかったのですか?」
まず活動場所がないという問題に直面し、場所を探しながらずっとイベントを続けていました。道頓堀の文化祭で集めた募金で病院の子供たちにクリスマスプレゼントを贈るプロジェクトや、クラブを借りてお酒の代わりにコーヒーを提供するイベント、セルフコントロールとコーヒーを掛け合わせたトークイベント、さらに大学の文化祭に出店をしていました。
仕事に切り替わったタイミングはカルチャークラブで間借り営業を始めてからです。イベントをする話に始まり、色々なことが重なり土日の昼間に営業をさせてもらうことになりました。
シーシャカフェ/ギャラリー
カルチャークラブ大阪(大阪,中崎町)
En Instagram
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◆BLACCが“Circle”から“Conductors”に変わるまでの出来事
活動場所を探している中、出会った人から「なぜサークルとして活動しているのか?」と訊かれました。最初は自分と同じような仲間を見つけたかったからでした。でも活動していく中でコーヒーを通した繋がりは増え、早い段階で当初の目的は達成されてしまった。そこから、これ以上浅く広い繋がりを作ることに価値があるのかを見つめ直していくことになりました。
元々BLACCは団体としてのビジョンがありませんでした。コーヒーというテーマで人を繋いでいったがために、メンバーのモチベーションが全然違うベクトルにあったので、ビジョンを決めてから一本筋を通そうと思いました。そのタイミングでBLACCの最後のCの文字はサークルからコンダクターズへと意味が変わりました。コンダクターとは伝導体という意味で、コーヒーに対するきっかけや人と人が出会うきっかけを作るという風に、“自分たちの行動が誰かのきっかけになる”ことが活動理念になりました。
●記者「BLACCのビジョンを教えてください。」
バリスタの活動の幅を広げること。コーヒーを淹れることだけがバリスタの仕事ではないということを体現して、バリスタとしてのアイデンティティの質を上げたいと考えています。
そこから英偉人さんの考えるバリスタの将来像が徐々に浮かび上がっていく。
●記者「コーヒーに対しての熱量はどこから生まれているのですか?」
コーヒーを通じた沢山の人との出会いです。人と人とを巡り合わせる力のある飲み物だと、関わるほどに確信していきました。
元々教師を目指していたので、四年間の大学生活を終えてしまうと好きなことができなくなると思い、その間に自分の好きなことを極めようと思いました。
僕は教えることが好きというより人とコミュニケーションを取ることが好きだったので、バイト先の塾はあくまで勉強というテーマで生徒と話ができる場と考えていました。他にそのような場があれば先生という職業でなくても、それが可能になると思いました。
教師を志すのをやめたのはBLACCを始めてから。行動するだけで何でも変えられると思ったからです。行動力って何にでも通用するし、自分が積極的に行動すれば周りの人が協力してくれました。コーヒー以外のことでもこれだけ前にどんどん出ていける体質だったら教師のように与えられた仕事を決められたようにすることは向いてないと気付きました。
●記者「将来達成したい目標はありますか?」
コーヒーに関しては、業界の中で僕たちが僕たちなりにバリスタの定義をできる地位までいきたいと思っています。コーヒーに興味を持ってくれた人たちに定義がある状態でアウトプットした方が安心感を持ってくれると思うからです。
その定められた定義の中でバリスタの生涯年収を上げたいです。バリスタは職人です。職人って自分が価値のあると思うものをアウトプットしていますけど、それがモノとして扱われたりよくない消費行動をされてしまって、ちゃんとした価値として見られていません。僕は今バリスタとして活動していて、低賃金で働いています。ただ楽しいから続けられていますけど一定までそのスタイルで行くと生き方が決まってきます。選択肢のない世の中って面白くない。だから僕はバリスタというペルソナで生きていく限りは、選択肢を広げたいという意味で生涯賃金を上げたいと思っています。
◆バリスタが仕事をする場所
バリスタにとってコーヒーショップやコーヒーを卸売りする以外にも活動の幅はあると考えています。例えば老後施設に月に一回コーヒーを淹れに行くおじさんがいてもいい。そこでコーヒーを囲みながらコミュニケーションすることでメンタルケアをしてあげるカウンセラーのようなバリスタがいてもいいと思います。そのようにそれぞれのバリスタが個性を持って良い。コーヒーは何でも混ぜられる飲み物だと思っています。なぜならコミュニケーションツールだからです。
●記者「コーヒーに関連すること以外の目標はありますか?」
自分が死んだときに悲しんでくれる人間がどれくらいいるかというのをずっと気にしています。僕は小さいときに弟を失くしています。弟が死んだとき母が膝から崩れ落ちて泣いている姿をいまだに覚えていて、人の死って周りの人にとても大きなインパクトを与えるのだと思いました。
今までは身近な人だからインパクトを与えると思っていたのですが、志村けんさんが死んだときって彼に直接会っていない人までその死を悲しんだし、「コロナって怖いな。」って感じたと思います。自分に関係のないことを自分ごと化できるってすごいこと。僕は最終的に人に良い影響を与えたいとずっと思っていいます。そこを目標にしているから何をもって達成とは言い難いですけど、とにかく自分ができることを発信していきたいです。そのクオリティーや幅を広げなければいけないと思っていて、それが僕の中で強くあるのがコーヒーです。
BLACCでは自分自身が何かしたいっていうよりも周りが自由に動ける環境を作って、普段はバリスタとして活動しているけどBLACCとして集まった時はもっと面白いことをしていきたいです。お客さんみんなが「コーヒーって美味しいよね。」と楽しんで、次の日またコーヒー屋さんに足を向ける人が増えたらコーヒー業界にとってプラスだし、それはその人にとっても幸せなことだと考えています。
●記者「英偉人さんの人生や行動を変えた人物を教えてください。」
龍崎翔子さん。HOTEL SHE,のプロデューサー、翔子さんが大学生でホテルを作ったと知った時に「すごい。」ではなくて「なんで自分にはできないんだろう。」と思いました。Why not me効果って言うらしいのですが、自分以外の人間が成功していた時に、なぜ自分にはできないのかという悔しい思いから原動力を生み出せるという効果があるらしいです。それを感じさせられたから翔子さんは影響を受けた人物のうちの一人です。
HOTEL SHE, OSAKA ホームページ
https://www.hotelsheosaka.com
そしてカルチャークラブの人たち。同年代で自分より先にいるから、追いかけられる目標ができたっていうのは大きいです。
それから弟の存在はとても大きいです。死ぬことについて考えさせられたからです。
宗教的な話になるけど、人って何かの目的を果たすために生まれてきていると思っています。弟は死ぬことで命の大切さを自分の身の周りに教えてくれました。大きな目標のきっかけを作ってくれたのが弟だから、影響はすごく大きいです。
ガタンゴトン…と阪急梅田駅を往来する電車の振動とメロウな音楽の重なる店内で、英偉人さんの口から語られる確かな覚悟と強い想いが直に胸に伝い、話を聞いているこちらにも熱い想いがこみ上げる。人の話を聞いて涙ぐむ経験をすることは滅多にない。BLACCという団体そのものを体現するような人である。ブラックコーヒーのようにその中身は温かくこだわりの深いものだった。
その時抱いた畏敬の念は数か月経った今でも変わることがなく、東京へと旅立った英偉人さんの今後のご活躍を心からお祈りしています。
インタビュー・記事=Aoi by team Allies
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