悠(湯)気の熱は月を永く照らす。
空が妙に寂しそうな藍色をしているある日のこと。
ざく、ざく、こつ、こつと足音が二人分響きながら、
月と移ろい溶けていく蒸気の香りが、
今いる時間から、ゆっくりと遠ざかっていく。
「少し、暑いねゆーきさん」
雲の動きがお互いの体感より、
少しだけ、早く進んだように感じた頃、
ぽつりと月の彼は呟いて、
二人はゆっくりと立ち止まり、顔を見合わせた。
お互いの顔色は、
緩やかにひかりが差し込んだ薄い暖色に近い紫陽花か、
徐々に視界に温かさを色付ける、
淡いロードクロサイトのように柔らかな桜色をしていた。
生暖かいような風と共に、
お互いのシャツが少しだけ波を立てて揺れている。
一本の電柱が、二本目の街灯が、そして時間が、
時のことわりに外れることなく、
自分たちよりも後ろに、
置き去りにされている。
「そういえば、夕方行ったお店で、何か買われたんですか? 」
ぽかぽかとした意気の彼が月の彼に尋ねた。
あ、見られてたのかと、あっけらかんと小さく笑う月の彼は、
小さな鞄の中から、一つの小さな紙袋を取り出して、
意気の彼に手渡した。
「もう少し、綺麗な空間にいる時に渡したかったんだけどね。 」
頬を細かくかきながら、口から零れているその言葉に、
淡い優しさを感じ取った。
誰に聞いたでも言われたでもなく、
もう少し歩くと、皆で言った海が近くにあるなと。
そう、思い出したところで。
いつの間にかもくもくと歩き進んで、
別れどころを過ぎていたのに気がついてしまった。
ざく、ざくと音を鳴らしていた道が、
いつの間にか硬くトン、タンと鳴るようになっていた。
どちらからでもなく「「結構歩きましたね。」」と言葉が重なって。
感覚的に、無音のような、無風のような時間が続いて――。
歩いている二人の左側には、
暗く、けれど、柔らかにザザンと波が鳴っている。
「「海抜って海水面から測った陸地の高さのことを言うんですよ」」
じゃあ、今の自分たちを測ったら、
どれくらいの気持ちの高さになるんだろうか。
ビュウッ――と風が吹いて、
それが心地よかったので、
なんとなく二人は防波堤に近づいて、
海風に撫でられにいく。
横には月のひかりが熱を帯びている。
横にはぽかぽかとした熱が揺らめいている。
海風が、今日の夜の食事の時にあったことを思い返させる。
♦♦♦♦
白い肌が赤く染まる月永さん。
自分の熱が野外の店の照明に流れていく。
次に気がついた時には、視界がぼんやりとしている中で、
日本酒の小瓶を手に持っている自分と、
ゆったりと身体を下げている月永さんの姿がある。
肌は桜色をしていて、首元にいくつかホクロがある。
喉ぼとけがとても柔らかそうだ。
ゴツゴツとし過ぎていない鎖骨が眼の前にあって、
衝動的に月永さんの鎖骨にゆっくりと日本酒を注ぐと、
空に浮かぶ月が、ゆっくりと髪を風と共に撫でる。
「頂いても……? 」
酔いよいになっている月のひかりに声をかけても、
言葉が零れることはなかった。
何も考えることなく、衝動的に口を近づけようとしたとき、
彼はがばっと顔をあげた。
そのはずみで日本酒が左右の肌に弾みながら流れている。
その様はまるで桜の咲いている木の近くで、
滝が水しぶきを表しているようだった。
「あ、ゆーきさん、ゆっくり注がないとこぼれちゃうよ。」
先ほどは何も発することのなかった月永さんの言葉は、
髪を撫でた風に運ばれて散っていく。
どうやら完全にお目覚めのようだ。
♦♦♦♦♦♦
それから、お店を出てゆっくりと夜風にさらされながら、
歩いて、今に至っている。
ザザンと響く波音を前にして、
そういえば……と。
「ぼく、飯食べるときの髪かきあげる仕草好きなんですよね。」
海を眺めながら、
空にある月のひかりに照らされている、彼に向けて言葉を零した。
「ああ、そうなんだ。そうだ。さっき上げた包み開けてみて。」
月に促される様にして、もらった包みを取り出して開けてみると、
中には、小さなラーメンのキーホルダーが入っていた。
「今度はラーメン食べに行きましょうね。」
キーホルダーを指に絡めたまま言うと、
揺らついた指から外れそうになるキーホルダーと指を支えて、
「ゆーきさんの手は、柔らかくてとても綺麗ですね」と、
柔らかく笑う面白い人がいた。
海風は輪になって、
夏時期の終わりを優しく告げた。