幸せについて本気出して考えてみた
私,ポルノグラフィが大好きです。
なので今日は学校での「幸せ」について本気出して考えてみます。
まもなく,2学期が始まります。
今年は夏休みが例年の半分以下,そして過去1長い2学期。新型コロナウイルスの状況によっては,冬休みすら削られてしまう可能性も残っています。
「夏休み」というより「2度目の自粛期間」のような感じの期間でした。個人的にはしっかりトレーニングして,大量に読書ができたので有意義ではあったものの,友人と飲んだり,旅行に行ったりしたかったです。
先日Twitterを眺めていて
①「生産性を意識して効率的に仕事を進める教員が増えている。しかし,対子どもに対してもその意識で進んでいっているのが不安」
②「文科省や教育委員会は学習機会の保証=子どもの幸せと考えている。それは本当に=になるのか」
※それぞれ別の方のTweetです。また,Tweetの言葉はこの通りではありません。
これについて思ったことを書きながら「幸せ」について考えてみます。
〜①について〜
現場を見ているとそもそも生産性など意識している人はほとんどいないという所は置いておいても,この方が仰っていることについては全面的に同意です。そして,この方の言う「不安」の中に私は完全に当てはまっています。
もちろん,対子どもに対しては思いを持って本気で向きあっているつもりです。インプットをして,「知識」と「思い」と「閃き」を組み合わせながら日々の教育活動にあたっている「つもり」です。
この「つもり」というのがポイントで,特にこの1,2年は膨大な業務量に対応するために「最適解」という言葉を口にすることが増え,最適解探しをしている自分がいます。
「多少の経験」
「最適解を探せる勘」
今の私はおそらくこの2つで生き残っています。
教師になりたての頃と比べて,できることは増えているしそれを子どもに還元できている自信もあるけれど,一歩引いて,見ています。
これを「成長」と捉えるか「退化」と捉えるか悶々としている次第でございます。
〜②について〜
これに関しては
「ちょっとみんな冷静になってくれ」
と思います。1学期を終えて分かったこと,というより初めから分かっていたことですが,今の国,教育委員会,学校,教師の対応はシンプルに
「学力格差」
を広げています。
・学習内容は減らない
・ほぼ座学の詰め込み(休みが長かったので時間もない)
・学習内容の繰越はOKと言ってもラインが曖昧
という状況の中だったので,「終わらせること」にエネルギーを注がねばならず,勉強が苦手な子をフォローする体制も整えられませんでした。
放課後も消毒+トイレや流しの清掃があり,子どもを残せません。
その結果,勉強が苦手だったり,わからないをいえない子は置いていってしまう状況が発生しました。
言い訳に捉えられてしまうかもしれませんが,物理的に不可能でした。
もちろん最善は尽くしています。でも無理です。
だから「最適解」に走る部分はあります。
そしてコロナが収束しそうもない2学期も同じような状況が続くのではないかと思います。
〜学校での幸せ〜
って何だろうと考えた時の答えは1つではないです。
でも,「学習機会の保証=子どもの幸せ」
という式を強引に当てはめているのは絶対違うと思います。
私は所詮1教師,なので基本的に決定や方針に従わなくてはいけません。
でも,枠の中で最大限足掻くしかないです。頑張ります。
トップの画像のように
「君の毎日が,幸せいっぱい,笑顔いっぱいでありますように。」
と願っております。
長々とお読みいただき,ありがとうございます。