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「“追究の鬼”を育てる授業革命 〜有田和正の教え〜」
有田和正
まず最初に、有田和正氏を取り上げたい。
有田流の発問を活かして授業づくりをしてきた人も多いことだろう。彼は、授業づくりの技術だけでなく、多くの教師の子ども観や教育観、さらには教師としての生き方そのものにも大きな影響を与えた。かく言う私も影響を受けたその一人である。
ここでは、有田先生ならではの代表的な語録を紹介したい。
(1)追究の鬼を育てる
「教材開発」「授業のネタ」「はてな?」といった言葉を教育界で広めたのは、まぎれもなく有田氏である。
子どもは好奇心の塊だ。その好奇心を揺さぶり、育て、追究することの面白さを十分に体得させることで、子どもは主体的に学ぶようになる。これは、大村はま氏の考え方とも通じるものである。
(2)授業は布石の連続である
「布石の連続」とは、毎日の授業を積み重ね、子どもに着実に力をつけていくということだ。
そのためには、教師の指導ノートはもちろん、子どものノートも重要である。ノート指導を徹底し、計画的かつ継続的に、その時々の基礎となる力を指導し鍛えていくことが大切だ。
(3)スイカはおいしいところから食べる。授業もまた同じ
スイカを食べるとき、端から食べる人はほとんどいない。たいていは、真ん中の甘い部分からガブリとかぶりつく。
有田氏は、授業も同じだと言う。最もおいしい部分を最初に与えることで、子どもは夢中になり、熱中し、追究し続ける。どのように「おいしい部分」を提示するかが、教師の腕の見せどころである。
(4)材料七分に腕三分
授業で最も大切なのは、教材の質である。
どれほど授業が上手な教師でも、教材の質が悪ければ子どもは興味を持たない。教材研究は教師の本分であり、常に新鮮なネタを用意することが重要だ。
(5)知識は眼鏡である。知識がなければ物は見えない
近年、基礎基本の重要性が強く叫ばれているが、それも当然である。
基礎的な知識がなければ、目の前にあるものも理解できず、「あれども見えず」のままとなってしまう。
(6)一時間で一回も笑いのない授業をした教師は逮捕する
有田氏は、授業において「ユーモア」が最も大切だと考えていた。
「笑うこと」は、面白さを理解する能力の表れでもある。子どもたちが笑いながら学ぶ授業こそ、良い授業だと言える。
(7)努力は人に見せるものではない
一流と呼ばれる人は、努力を見せない。
白鳥は水面上では優雅に見えるが、水面下では必死に足を動かしている。どんな場面でも努力は必要だが、それを表に出さず、自然にこなしているように見せることがスマートなのだ。
(8)鉛筆の先から煙が出るスピードで書きなさい
これは、私も子どもたちによく伝えた言葉である。
実際には、どれほど速く書いても煙が出ることはない。しかし、そのくらいの気持ちで集中して書くことが大切なのだ。
有田流は、理想!
有田氏のように授業ができるのは、素晴らしい教師であり、きっと一握りの教師でろう。子供が彼の言うように動けば、素晴らしい授業となる。でも、現実は、そうはならない。理想は、あくまでも理想であり、現実にはならない。
ただ、そう思うことは、大切である。理想が100%であるなら、30%、いや20%でもいいのである。0%でなければよいのである。
とにかく、彼の言葉は、インパクトがある。当然、子供もその気になるのである。
現実は、現実でも、理想を抱くことは、大事なのである。
誰もが実践できる授業を求めて
ごく一部のスーパー教師を除き、ほとんどの教師は、有田氏とのギャップに現実を突きつけられたことであろう。そんな中、誰もができる実践を提唱したのが法則化運動である。80年代から90年代にかけて流行した教育技術の法則化運動。次回は、向山洋一氏の功罪について述べてみたい。