FMアレクサンダー「自己の使い方」自己観察について。
こんにちは。
「自己の使い方」第一章は、FM氏がどのようにして自己観察をしたか書かれている大切な章ですね。ワークの根幹である「自己観察」を進める上で、大事だと思った箇所をご紹介します。(大事なとこだらけですが笑)
FM氏は自分が失声した原因を探るために、鏡を用いて自己観察します。その際に「普通の話し方と朗誦と、もしかして可能になれば自ら差異を区別」できると思いつきます。
普通に話す時と朗誦時を比べた差を用いて、自己観察を進めました。観察する際に、何かを比べるという事が大事だとわかります。普通の話し方を観察しましたが、初めは何もわかりませんでした。
しかし朗誦時に起きる自分の傾向を発見し、「喉の問題と、関係があると疑うのは不合理ではない」と考えます。その3つの傾向は、
・後ろに引き下げた頭
・押しつぶす喉頭
・吸い込む口呼吸
です。
そして、再度普通の話し方を観察すると、
「同様に現れ、それにしてもより小さな度合いで普通の話し方にあった」としています。つまり、特技である朗誦以外の日常生活でも、同様の失声に至る原因が、度合いは少ないけれど現れていたとしています。
音楽演奏やダンス、演劇、スポーツなど、様々なジャンルで本ワークを応用したいと学習されている方は多いと思います。自分の練習してきた特技の中で起きている不要な習慣は、日常生活の中でもきっと起きているだろう、という事がこの記述から学べます。
ワークを応用する特技だけでなく、日常生活での自己観察・ワークがいかに大事か、と私も改めて理解できました。
1941年の序文では、
「皆さんの自習とおっしゃるやり方では、到底、私の記述通りにならない」と書かれています。
この章で記されたFM氏の自己観察方法を実践する事が、ワークの第一歩だと改めて確認しました。
最後に、ワークの開始点についての引用で締めくくります。
「自らを自由にできるならば、そのための第一歩は自分に同意を寄与しないこと・拒絶であり、自分が普段やっている『すること』を運用せず、つまりいかなる手段であろうともこれをやらないところが開始点だ。」
お読みいただきありがとうございます。
まだお持ちでない方はぜひご一読ください。