「添削受けるの苦手な人」が考えた、添削する側/受ける側がより建設的になる心構え

要約

添削されるのはありがたいけど、もうちょっと言い方とかどうにかならん?(愚痴です笑)
愚痴だけだと建設的でないので、どういう姿勢を持ったら今後お互いが良くなるか?というのを述べていきます。

前提

もちろん感謝を持つのは大前提です。添削者の貴重な時間を使い、添削者に報酬が発生するわけでもない添削受け側の為に考えたり、改善点を伝えたりしてくれるのはとてもありがたいことです。

そういう理性的な部分はガン無視して、感情面で書かせてください。

あと、対象は何回か添削を受けたことがある人です。卒論などの「添削受け初心者」はまだライティングの技術が無い場合が多いと思うので、一旦素直にコメントに従ってもらったほうがいいかと思います。。。

私の話(愚痴です笑。飛ばしても可)

私は添削されるのが苦手です。
自分が気合をいれてやっと書き上げた文章が、沢山修正されるコメントが入ると、何度も否定をされた気になって自己肯定感がとても下がります。

原型をほぼ留めずに修正されると、「これもう添削者がゼロから書いた方が早いじゃん。」「自分が書いた意味が無いじゃん」と無力感に襲われます。

そんな負の感情を抑えて、やっと終わらせて2回目を出して、返ってきた2回目のコメントはまた訂正の嵐。なんなら添削者が1回目に添削をした所をまた添削されてるケースもあり「添削者が以前添削したところだろ!」っていうツッコミが出てくることもあったりして、無限添削編の始まりを感じることも多々あったり。。。

それを踏まえて、添削苦手歴10年超えの私がこう考えれば楽になるのでは?と思ったことや対策、自分が添削者側として実践してきたことを書いていきます。

添削を受ける側の姿勢

コメントは0にはならない

一概には言えませんが、添削者はその時に読んだ感想を書いてます。文章を読むのは、読者が今何を考えているのか?ゆっくり読めるのか?仕事に追われながら仕方なく読んでいるのか?などタイミングによって、感じ取ることがだいぶ変わってきます。読むタイミングで感想は変わります。

同一人物でもタイミングによって、感想(=コメント)が変わるのに、まして複数人になったら、全員を満足させてコメントを0にすることは不可能です。なので、万人が読んでコメント0になることはありません。

意図を本人の口頭で直接聞く


コメント)意味がわからない

文面だけで見ると、とても冷たく感じますが

本人)
◯本当に意味がわからないから、どういう意図なのか知りたい(興味)
◯意味がわからない(怒)
◯なんとなく伝えたい事はわかるけど、この表現だと意味が伝わない(表現の指摘)

など様々な「意味がわからない」があるので、どんな意図があるか、添削者本人に口頭で確認し、添削者の意図と自分のギャップを無くすことはとても重要です。

(「それを踏まえてちゃんと表現したコメントをくれよ....」とは思いますが、、、)

「添削を出した数」と「文章の質」は完璧に比例するわけではない

当時の自分の思い込みですが、「出せば出すほど良くなる」と思っていました。まぁ厳密には合っていますが、1回目に比べると3回目とかはだいぶ効果は低く飽和に近いかなと感覚的に思います。

最初にも述べましたが、読むタイミングで感想は変わります。「1回目の効果が一番高く、2回目以降は効果は大きく減るのかなー」と個人の経験的には思います。

コメントの奴隷にならない

添削を求める場合というのは、

添削受ける人(学生や部下)<添削者(先生や上司)


と添削を受ける側が立場的に低い場合が多いと思います。

そうなると「コメント=これはこう直す!」と強制力がある指示のように受け止めてしまいます。

ただ、実際は「こっちの方が私(添削者)は好きかな?」くらいの感覚だったりするので、強制力が全然無い場合もあります。

なので、全コメントが絶対直すというよりは、「この部分は自分(添削受ける側)が~な意図があるからこの文章で行く!」という対等な関係でいくのが良いかと思います。
※先述の口頭で聞くと併せてコメントの意図を添削者に確認してみてください。

あと、世の中には「私(添削者)が指摘したところが直っていない!けしからん!!」とヘソを曲げる添削者もいるので、そこは気を付けてください。

自分が「見てくれ」と頼んだら、相手は「見なきゃいけない」

相手には立場というものがあります。
例えば、部下から添削をお願いされたら添削をする義務が発生します。逆に、お願いされなかったら添削をする義務は発生しません。

なので、1回添削をもらったら、しれっと提出してしまう選択肢もありかもしれません。

「コメントが0になる=提出してもよい」という思い込みが、私にはあったので、修正する度にお願いしていましたが、そんなことはありません。

ある程度できたら自分の判断で出しましょう。
※もちろん、添削者のタイプによるので要注意です

添削者側の姿勢

ポジティブなコメントも入れる

コメントと言うとネガティブや修正をいれるイメージですが、「この文章の表現は伝わりやすくていいね!」「この図はとても見やすくていい!」などのポジティブなフィードバックがあると、添削を受ける側として返ってきた時や修正の時ににモチベーションが保ちやすいです。

コメントは1回きりにする

先述した通り読むタイミングで感想は変わります。添削者の中ではコメントの方針は一貫しているつもりでも、添削を受ける側から見たら一貫性が無かったりする部分もあるかもしれません。

もし伝えたいことがあるなら1回目で伝えきりましょう。1回目で修正がなかった箇所に2回目で修正が入ると「2回目でコメントいれるなら、最初から言ってよ」と添削を受ける側は思ってしまいます。

当然、添削者側は全体を見て判断しているので、「元の文章+修正後の文章」ってなって初めて「元の文章」が気になってコメントをしていると思います。しかし、添削を受ける側からすると「終わりがない」ように見えてしまうので、基本は1回目で終えたほうが無難かなと思います。

完璧を目指さない

上述の「コメントは1回きりにする」と被る部分もある内容です。

立場的に低い人が添削をお願いする場合は教育の面もあると思います。

教育の時に1回で全部伝えようとしたら、教育を受ける側は受け止めきれないし、教育する側が熱を入れれば入れるほど、教育を受ける側は引いていってしまうのはご存知だと思います。

添削もそれと同じで1件(1論文?1文章)の添削で完璧を目指さず「3割位できればいいか」と期待値を低くするのが、相手に伝わりやすい熱量になるのかと思います。

添削者の方はライティングの技術を何年もかかって培ってきたと思います。その大半を1回で伝えるというのは難しいので、ポイントを絞ってあげたほうが相手にとってもより有意義なものになると思います。

直して欲しいレベルをランク付けする

やはり文面だけだと意図が伝わりきらないので、直して欲しいレベルを明記します。例えばですが、

←直すレベル強い   直すレベル弱い→
ここは絶対直して欲しい>伝わりづらいからもう少し変えていいかな?>個人的にはこっちのほうが好み(でも筆者がどちらを取るか判断して良い)

このように書くだけで、自分の意図はより正確に伝わると思います。

まとめ

添削を受けるのが苦手な心情を話したあとに、どうすればみんな幸せになるのかあ?ということに関して、述べていきました。

色々話しましたが、添削者もいい事を言っているし、そこから自分(添削を受ける側)が学び取るためにうまく付き合っていくのが大切です。

それではまた。

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