私が思う“何者か”は、今の私を映す鏡#023
あなたは、“何者かにならねば!と思う派”それとも、“何者かになりたい!と思う派”どっち?
先日、voicyを聞いていて、メモを取りたくなった話題があった。
芳麗さんと近藤弥生子さんの対談で「何者かになること」と「自己肯定感」についてのお話。
お二人は、なぜ「何者かにならないといけない」とプレッシャーに感じている人々はプレッシャーに感じるのかその理由、また、その背景には自己肯定感が低いからなのか?など分解し考察されていた。
私は、つい、メモを取った。
私は“何者かにならねば”とプレッシャーには感じない、それより、何者かになりたいな、憧れるということ。
プレッシャーというより憧れ。
しかし、この“何者”とは“なにもの”なんだろうか??
“何者”とは、『なにもの』?それは、自分と属性は近いようで、遠い人。
私が憧れる『なにもの』とは・・・どんな姿、どんな人なんだろうか。
私が素敵だなと思うのは、例えばvoicyパーソナリティでいえば、
尾石晴さんやEmiさん。
同じくvoicyパーソナリティの佐々木俊尚さんや武田正文さん、平川理恵さんも尊敬してお話が聞きたい!と思いフォローしているが、憧れてはいない。
憧れを抱く人の要素とは。私の場合、
①同性であること、年齢が近いこと、現在子育てをしていること、など共通点がいくつもある方
②家族を大切にしながら、自分のやりたいことを持っている方
③日常を独自の思考で切り取る、オリジナルの思考の眼鏡を持っている方
芸能人にはこの年齢になると、さすがに憧れは抱かなくなっていた。
“何者かになれそう”と思わせる世の中なのかもしれない
私が憧れる『なにもの』とは
インターネットやSNSによって、見出された方々。
インスタでは、普通の人が、ダイエットのインスタグラマーになっていたり、人気のヨガ講師になっていたり、料理本を出版していたり、など、活躍する姿を度々見かける。
自分と属性が近い、普通の人だったが、今、多くの人に支持されていたり、伝えたいことを持ち、本を出版していたり。
元普通の人が、何者かになっている姿をみることで、
何者かになりたい、または、ならなければならないと思わせているのかもしれない。
何者かにならないといけない!とプレッシャーに感じる人は、
なかなかつらい世の中かも。
“何者か”は、年齢や人生のステージで変わっていきそうだ
現在、私が素敵だと思うのは、voicyパーソナリティの尾石晴さんやEmiさんなどだが、10代、20代のころの憧れる“何者か”は、なんらかの職業だった。
現在は、家族・自分を大切にしながら、
自分の好きなことを仕事にしている人、
そして、いつも考え続けている人に憧れている。
これから50代、60代になり、また新たに憧れる“何者か”に出会えたら、
その人と自分の差分を見つめることで、私自身が今、何を大切にしているのか、何をやりたいかを気づくことができそうだ。
今後、自分がこの人“何者!?”と思う人に出会ったら、
その瞬間を敏感にキャッチしたい。