「人は生まれて、できないことができるようになって、できていたことができなくなって亡くなっていく」という言葉が腑に落ちた話。
ちょうど1年ほど前、祖母が危篤になった。
どこかはわからないが、がんがあり、色々なところに転移していたのが原因だそうだ。
祖母が入院してからしばらくが経ち、お見舞いに行こうとしていた。
ただ、病院側の事情で病室に入っていい人員が決められていたため、親にテレビ電話でつないでもらう形で私は祖母と会った。
いつもより声がか細いところ以外はいたって変わらなかった。それでも祖母と話せて嬉しかった。
まあ、また逢いに行けるだろうと思っていた。
そう現実は甘くなかった。
「もう目を覚まさないかもしれない。合わせたい人に合わせてあげてほしいと病院から言われた」
面会してから1~2週間くらいのことだった。
急いで日程を合わせ、祖母のいる病院へと向かった。
祖母はずっと眠っていた。
そのことに私は泣きそうになっていた。もう二度と話せないのかもしれないという寂しさと、こんなに祖母は小さくなってしまったんだなと気づいて。
だが、寂しさだけではなく、どこか「見守っている」状況に、何だか温かさとは違うが不思議な感情を抱いた。
「ああ、こんなふうに人は生まれて、亡くなっていくんだな」と、どこかしんみりとした思いを抱いた。
きっと私が生まれたとき、お昼寝をしている時、夜寝ている時、こんなふうに私を見ていたんだろうなあ。祖父母も、そして両親も。
たくさんの人に見守られて、支えてもらって、時にはきついこともあるけれど、悪いことの分だけ(とまではいかなくとも)小さな幸せとかいいこととかがあって、何とか生き続けている。
祖母は時々、あくびをしていた。
「私たちが来たことをわかっているのかもね」なんて言いながら、祖母に声をかけていた。
いつも祖母の家に行った時のように、「ばあちゃん、来たよー」と話しかけた。
「もっとたくさん話したい」
「もっといろんなところに行って、美味しいものを食べたいね」
「今までいっぱいおばあちゃんにたくさんのことをもらってきたから、
今度は私に恩返しをさせてほしいな」
「(私)の結婚式の姿見るんでしょ」
「私が結婚…できるかなあ(笑)」
「できるやろ、知らんけど笑」
そんな具合に、後半は静かな笑いもあるようなことを話しかけ続けていた。
しばし家族でじっと祖母を見つめる。
面会時間の終了も迫ってきたので、ここで祖母とは別れることになった。
この面会が、生きている祖母との最後の顔合わせだった。
祖母は、面会から1週間くらいに亡くなった。
亡くなったのは、私が第一志望の就職試験を受けている時のことだった。
亡くなったことを知ったのは、試験が終わった後、親の車で実家に戻っている間だった。試験終わりの疲れとショックとで、変に気が立っていたような気がする。
通夜の前の少しだけゆっくりできる時間に、亡くなった時刻を聞いて、びっくりした。
私が試験中に、「あ、ここ、大丈夫かも」と、肩の荷が下りた時間と祖母が亡くなった時間がだいたい同じ頃だったから。
その後は、遠方だったせいで葬儀関連のことをほぼほぼ何もできなかった申し訳なさを感じつつも、そんなことは気にしていられないほどバタバタしていた。
弔問の受付をしたり、親戚の子どものお守りをしたり、そして、しっかりと祖母の死に向き合い、悲しんだり。
2日間はあっという間で、あっという間にお骨になってしまった。
その後、無事に当時第一志望としていたところに内定をいただくことができ、今はそこで働いている。
社会って厳しいな〜と思いつつ、何もできない自分に歯がゆさを感じつつも、時折誰かの優しさに触れてじんわりと心が温まることもある。
そして何より、「この人のこういうところいいな」「この人みたいにこういう風になれたらいいな」と思える人が周りに結構いる環境に運良く巡り会えた、と思う。仕事はやっぱり大変だけど。
まだまだできることは増やしていきたいしそうしなきゃだし、なりたい姿と今の自分がかけ離れすぎていて落ち込むこともあるけれど、何年か経てばそうなれるのかなあ。
そして、祖母みたいにいつも笑顔で、周りに感謝できる心を忘れないようにしたい。
まだまだ不甲斐ない私だけど、これからも見守っていてね、おばあちゃん。