【短編小説】新卒社会人の憂鬱④
これのつづきです
春は奇術師だ。
人を幻惑させ、高揚させるその明朗さは、人々を盲目にさせるという薬害を併せ持つ。そしてその害は社会的なものなのである。抑圧せらる他者に対する暴力の残虐性は、春に因って矮小化されるのである。
冬は私の凭る辺であった。
冬はアパートの一室の債権を私に握らせ、その手を上から包んでくれる。孤独の時間を、歩みだすその一歩を、逐一蠱惑的なものに変えていく。厳しさへの反動から抽出された自己愛は私を亦一つ大人にし、冬の終わりにも頃く会わぬ元カレに対する変らぬ堅磐の恋心を有していることに称賛を與えるのである。
しかしいま、窓から吹き込む春風は私の心を外の世界へと誘っているかのようだ。これは私の軽薄を表しているか、それは全くわからない。不可知の域にあることだけは劃然としており、それはつまり思議に値しないことだということを示しているのである。
兎も角、春や夏に過去に負った傷痕が疼く一方で、しかし同時に目途無い浮心を生起させるのが、この春という最も世俗的な季節なのだ。
*
その日は只管に入社初日だった。
初めに若手の出世頭と思しき社員が2週間に及ぶ研修全体の、そして当日の流れを説明した後、課長の話に始まり、新卒が社訓を叫ぶ。極めて非生産的な時間だった。そしてなんとも下らぬことに時間を費やしている己を憎んだ。
私はこの感覚を経験したことはなかったが、しかし私はそれを知悉しているような気もしていた。後者が理想主義者のそれであること、人間が短時間のうちに極めて理性的な判断をするものだと決めてかかっている者のそれであることは、論無きことだ。すなわち、現在の己の知性を以て過去の出来事に臨むのならば自分はこのように動くだろうという反省を、あまりに醜悪で強力な悔恨の念が当時の己の理性の近傍に優先順位まで付して据え置く。そうして理性的主体の虚像を造り上げるのである。
この曲筆は己の判断力に対する冒瀆と云えよう。
過去の自分を無謬の選択肢に無批判に隷属させるのは、畢竟知の在り方として間違っている。不誠実だ。恰も教科書の正解をしか、或いは限られた別解をしか許されないと盲信する高校数学の初学者のようである。
この不誠実に対する不感症は、今日のSNS空間に充満している感もある。そこにある非現実的なほどに過大な理性主義は、最早人間理解に於ける最大の夾雑物であるし、時に実現可能でないことをも要求する強欲の輩としても顕現する。刹那ほどの畢生をも持たぬ夢幻泡沫の奇蹟は蹂躙され、クリプトを持たぬ生を歩む。そして拠るべきものを喪った虚無は、不図した花の香や星の瞬きを知覚の抹消に滞留せしめ、当為によって観念と言葉がつながれた、不感の病に罹って了った世間に迎合的な”主体”を要求する。そして、正しさという権に依って利を得た”主体”は、やはり迎合的で抑圧的な言説を宣う。その正しさというものが、実体のない蜃気楼のようなものであっても、だ。
一通りの儀式を終えた後、多量のインプット研修が始まった。1週間後には現場に繰り出し、その後1週間の職場内研修で基礎を身につけてくれ、とのことだ。なかなかに困難であるように謂われるが、臨むところだ、とも謂わせるところがまた憎い。新社会人が持つ不安と野心の合金|《アマルガム》は、狂気に依って純な覚悟性の光沢を幻覚させる。
まあ、あちらが其れを知悉し、且つそれを悪用せんとしていることが見え透いているとは云え、其の事のみに訴えて精神的な罷業を致すこともまた餓鬼の業であろう。採るべき選択は今はひとつしかない。
「はい、それじゃあみなさんお疲れ様でした」
PC操作の研修の後、始めの挨拶をした童顔の背の低い男が研修官の代わりに前に出て言った。この後は1時間の昼食休憩だ。
「お昼休みの前に、みなさんのメンターを発表しまーす」
そんなものがあるのか。親切が故なのか会社の伝達システム上の都合か、何れにせよ物事が明瞭であるのは善きことである。
メンターとやらの発表の後、昼休憩に入った。
私のメンターとやらは小太りな男だった。随分と年を召して居るように思われたが、未だ3年目とのことだった。
そのメンターとやらが衒気めいた足取で私に近づき、話しかけてきた。
「サクラさんってさぁ、趣味とかあるの?」
中年男性が初対面の女を下の名前で呼ぶとはどういう料簡だ? 爾は明治以前から現代に来たばかりのタイムトラベラーか? そう聞き返そうと思ったが私は怒気を抑え、優等生の回答をした。
「本を読むのが好きです」
心地良い人間関係の中でばかり過ごしてきた大学生活は私の自制心を後退させていた。もう少しで敵意剝き出しの端ない言葉を眼前の肥えた魯鈍に浴びせるところだった。危なかった。
「いいねぇ、僕も読書が好きなんだよ。やっぱり人生は酒と文学だよねぇ」
「酒と文学」という、近頃では言い古されたと云っても過言ではない卑近な表現に嫌気が差した。”酒”と言った語気の強さは刹那、”文学”は邪険に吐き捨てられた。それは気の所為であったかもしれぬ。しかしながら、その尊大な麦酒腹は、私の独断の語り部たる倨傲の面影を掻暮に覆い隠すほどに雄弁だった。酒の肴は分厚い衣を纏う唐揚げと云ったところか。その乱れた食生活の表顕たる風貌を慮るに届かぬ所へ置くにしても、教養を幾許も感じさせぬ陋劣な驕心ばかりが跳梁跋扈する彼の舞台に私は辟易とさせられた。昼休憩にして既に心は残業気分だ。
メンターとやらの話が終わった後、雪隠に向かおうと思った。いや、思うことそれ自体は話の途中からなされていた。ただ、概念的表象だったものが対象として浮かび上がってきたことが様相を違えていた。
ジャケットの衣嚢に手を入れてその場を離れた。こういった不良の女子高生を思わせる行儀を採ることが、内に根拠なき倨傲を発現させる。斯くも幼稚な一種のトランス状態への希求をば制御できぬこと、寧ろその幼稚さに忌避の念を覺える前に然る態度を採ることは、畢竟後に私の自己評価を下げるに充分過ぎるほどの根拠となる。ただ、他に映る己の無言の表象を意識しているということ自体はやはり未だ私の美徳と云うべきか。
目の前に背の低い女が停まった。私より20 cmほど低い。私が彼女を見下ろす構図になる。齢は六十ほどだろうか。皺は深く、顔の筋肉は義務を果たしていないように思われる。長年の旱魃の被害は甚大で、その画素は昭和の写真機のようだ。これが老いというものか。
皺苦茶が口を開く。
「黒いストッキングはよくないわ。それと、表情も暗い。人は見た目が9割」
私はこの率爾に驚いた。いや、然して驚いてはいないのだが、大きく上振れた表現することで相手への非難の意を己の裡に作り、それ以上の情動の昂進を抑えるという防衛措置が採られたのだった。それにしてもこれから宜しくの一言もない儘に、第一声がこれか。無礼な人だ。容易にビジネス本に頭が汚染されそうな軽薄さも垣間見える。いや、私がそういったものを過剰に毛嫌いしているだけなのかもしれないが、しかし営業職でもない教育系の仕事でそれはないだろう。
「こんにちは、これからよろしくお願いします」
少し間を置いてから、投げ遣りに早口で対処する。莞爾と笑って己の愚行を中和しようとする。しかし当然と謂うべきか、私のこの一連の所作はこの皺苦茶の気に障る。
「返事になってない」
まったく面倒だ。事態を拗らせた先刻の己の握り拳をそっと優しく開いて愛撫しながら、過去の自分を諭した。
年配の女性の少ないこの職場に於いて、彼女は正しくお局という言葉が似つかわしい。その傲岸な口許は己の権勢を声高に主張せんと息巻いていた。
友人曰く、私は気に障ることがあると直ぐに苦虫を噛み潰したような表情を呈するとのことだったが、今し方噛み潰したのはカメムシだったかもしれない。兎も角、此奴の憎しみにも似た敵対心が、新卒の言いなりになるまいという小さな体面に拘っていることは瞭然たることのように思われた。
社会人になるとは斯う云うことなのか。
上等だ。
もうちょっと書こうと思います。
書かないかもしれません。
でもやっぱりお盆には書くかな。
わかりません。
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