よくあることを書いてみた
9月にはいりました、お元気にお過ごしですか?
この投稿では、よくあることを書いてます。
それに先立ち、自分の考えをのべました。
わたしという人間は、
学校のような、大きな教えよりも
ひとりひとりの個の在り方に重きをおいているので、
だれかに答えの教えを乞うのではなく、
いつもじぶんのことを客観的にみるように心がけてます。
、、、できているかは別だけど。
これ、なかなかの鍛練なのですよ。
たとえるなら、1人ごっこなのである。
じぶんが先生であり、生徒だということ。
やや排他的に聞こえてしまうが、
それぐらいの気持ちで内観をしているのです。
そして、ひとの輪の中に入ってまなぶことは
同じくらいにとても大切にしています。
ひとりじゃわからないことたくさんありますものね。
ある日のことです。
言葉や行動が異なる、気に入らないからと
攻撃的な人とのやりとりがありました。
従わないとあら探しをし始めて、
まわりに吹き込み孤立させようと
古典的なやりかたで足をひっぱるのです、
1人だけ出し抜けは許さないと、
鎖をつなごうとするのです。
この人の真実は、
アドバイスをしている、
人助けをしている、あなたのために言っているでした。
じつはこのやりとり、
エネルギーを学んだ仲間内であったもの。
そして日常でもよくあるやつですね。
このとき、
わたしの意識の中に残っていた言葉がうかびました。
"この先は同じ場にいても、
交わらず、ぶつからず、ただ接点を
もてなくなる関係があらわになる"
という言葉。
このいわんとしている意味を体感し、理解しました。
人間の意識が極にあらわれはじめ、
認識はできるけど、同調できなくなり、
現実だけど
まるでテレビドラマのシーンをみているように
自分の事だけど、他人事に見えてしまうぐらいに
入り込めない。
ほんとうの愛であったら、
もっと違う行動だと思います。
自分の思い通りに、他人を動かそうとしません。
同じ学びをした仲間だとは言っても、
同じ意識ではないということを認めざるをえなかったのです。
攻撃したい人は、
じつはスゴく孤独な人。
攻撃する相手を探し、場をかきみだし
何かおこることを期待している。
そのように無意識に
他人の興味を所有し、
時間を所有し、自分の思いを所有してくれる人
を探している。
所有したら孤独をまぎらわせることができますものね。
また、
そうゆう行動をしていることに気づいていません。
自分のやっていることを認めて受け入れること、
ありのままの自分を直視することができないのです。
自分を所有することができないと、
都合の言いように、外にいいわけを作り出したり、
話をすりかえたくなったり、
ついにはできないまま、人生が終わってしまうことも
あります。
※以前に投稿した "リミット"という記事をご覧ください。
さて、わたしはこの状況でどうしたかというと、
"なにもしない。" でした。
妙な空気感に気付いても、同調しない。
そして孤立するかといえば、しないのです。
近寄ってこない人もいますが、別にいいんです。
好き嫌いがありますから、
万人受けするものなどこの世に無いに等しいですもの。
攻撃しあうのではなくて、認め合うことだけが
調和になる。
これをひとを赦すことというのだと思います。
されて嫌なことは主張したらいいんですよ。
言霊は、エネルギーが生まれるので
淡々と内容を伝えるように冷静な心であれば大丈夫。
むずかしいようであれば、
まずは距離をおくことがいいとおもいます。
感情まかせに動いてしまう = 行動力が高いこと
もしも愛からの行動で動いたとしたら、
どれだけ素晴らしいことなのかと胸がふくらみます。
わたしは、この可能性をいろんな人に見ています。
もちろん自分に対してもですよ。
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