京浜東北線ゲーム、埼玉エリア編にて思ったこと
久しぶりに、自転車ではなく、たっぷり歩いた。
川口から大宮まで。
体重100キロの私が、これだけの距離を歩いているのを俯瞰すると、滑稽でおかしい。
西川口で中華を食べて、大宮で昔ながらの駅前の飲み屋で軽く飲んで帰る。
それだけのために歩こう、と。
ゆっくり起きて、家を出る。
上中里という静かな駅が、住まいから一番近い田端駅の一つ北にあり、そこから乗車して川口駅で下車。
デカい街だ。
小さい頃、自分の街が賑やかで埼玉は未開発な感じの記憶が未だに抜けず、完全に逆転していることに、いつもビックリする。
玉手箱だ。
駅を降りた時点で中国系の人が多いな、という印象があったが、2年ぶり位に行った西川口は以前にも増して、チャイナタウン化していた。
何度か利用した中華屋さんは、入ってから気づいたが、経営者が変わったようでメニューが変わっていた。
以前の経営では、来店客は半分近く日本人もいた記憶があるが、今回は私以外みんな中国人で、異国感が満載。
ちょっと怖かったが、楽しかった。
麻辣牛肉麺を頼んだ。
米の麺。牛の肉はしっかり煮込まれていて、臭みもなくスープは美味しかった。
安い。
◇ ◇ ◇
西川口からはずっと線路沿いを歩くことにした。
このエリアは坂のない、広大な平地が延々と続く。
線路そして線路沿いの道はひたすら、大宮に向けてまっすぐだ。交通量がほとんどない。
大宮まで歩くことに決めた一つの理由は、読みたい本があったこと。
この道なら、人に迷惑をかけずに、歩きスマホ的に、本を読みながら歩ける。
歩きながら読むと集中できて、本も道もよく進む。
日本では、AIが与える影響だけでなく、労働世代の人余り時代から反転して、一気にいま、不足に流れる中で、どんな事が起きるのか、から語られる。
まだ本読みは途中だが、自分の理解だと、就職氷河期や失われた30年は、労働者が余っていて、給料を上げる圧力がなかった時代だそうだ。
ワークシェアリングなんて言葉もあったけど、労働の効率化を図るよりは、どうやって解雇などを減らして、みんなで仕事をし続けるか、が大事な問題だった。デフレも手伝って、どうにか安定した不況だった。
しかし、これから一気に労働力の不足が深刻化してくる。
いい人材を雇うためには、待遇をどんどん上げていかねばならず、そのコストを商品やサービスに乗せていかねばならない。
それができない事業は潰れていくしかない、と。
一方で、身体を使う、ローカルな仕事は(ホワイトカラーではなく介護、輸送、医療、観光業などなど)、人手がどんどんなくなって行く。
その辺の問題は、これから読んでいく。
◇ ◇ ◇
線路沿いを歩くということは、駅前を通ることになる。
主要な駅では、各党の候補者が演説をしていた。
野党ばかりで与党がいなかった。
与野駅からは、中山道と合流して、そちらを歩く。(与野という地名は、与党と野党から来るのか?(笑))
私の大学卒業旅行は、冬の中山道行脚で、テントを背負って東京から京都まで歩いた。
33年前に歩いた道をまた歩く。
もう記憶はほとんどないが、前日が大雪で、雪の残る歩道をずっと歩いていたことを思い出す。
歩きながら、その時の自分がデカいザックを背負って、雪の上を時にスリップしながら歩いている姿が目の前に浮かん来た。
「こんなところで、昔の自分に会うとはなぁ…」
◇ ◇ ◇
さいたま新都心に近づくにつれ、近未来的な開発を目の当たりにする。
新都心を越えると、そろそろゴールだ。
歩き始めは、もともと左足首が痛くて歩けるかと思ったが、歩き始めると、有り難いことに慣れてきて、最後はかばっていた逆の右足首も痛くなってきて、バランス良くなった。
痛いところが広がるほど、ピンポイントはどうでもよくなる。
今度は足全体が棒だ。
巨大な大根のような私の足が、棒のようになって、棒を前に出すようにひたすら歩く。
いつも歩く旅は最後にはこうなる。
前向きに歩いている気持ちが懐かしい。
大宮駅に着いた。
午後4時過ぎだったので、行きたかった駅前の、昔からある大きな人気大衆酒場に着いて、座ることができた。
何十年も働いているような人が、いい意味で力が抜けて接客をしてくれる。
壁が目の前にあるカウンターで飲んでいると、大きな声が聞こえた。
どうも、国民民主党の玉木党首が、駅前に来るらしい。
◇ ◇ ◇
私は石破さんは好きだ。
昔、テレビ番組で違う意見の人をしっかり聞いて考えて、語る姿勢が好きだった。
自民党総裁になった時はうれしかった。
しかし、本気で彼を支える雰囲気が、自民党から感じられない。
誰がやっても負けるなら、彼をスケープゴートにすればいいか、ぐらいな総裁なのか。
メディアを通じてだから、分からないけど。
◇ ◇ ◇
飲み屋の奥で、はっきりと聞こえない、マイクからの声がずっと聞こえている。
ある時から、トーンが変わった。
これは玉木党首だと思った。
私は、ずっと国民民主党と党首を気にかけている。
今回、人としては石破さんを応援したいが、政党として応援する気持ちに、なれなくなってきている。
玉木党首の声は、言葉としては明瞭に聞こえなかったが、心の奥底に響く声だった。切実で誠実だった。
国民民主党には疑問に感じる公約もあるが、日本の政治の中に残ってほしいと思っている。
◇ ◇ ◇
歩きながら読んだ本でもそうだが、日本社会がみんなが納得のいくようなソフトランディングなどもうあり得ない、と感じる。
今度の衆議員選挙は、ハードランディングで滅茶苦茶に苦しむ人も出でくるし、少しだけは助かる人も出てくるかもぐらい、日本自体が荒波の中に放り出されることが決定して、誰を少しでも安全な場所に置いて、誰を諦めてもらうかを一人ひとりが表明する選挙だと思った。
若い人を安全な場所に置けば、老人はどんどん荒波の中で倒れていく。
稼げる人を真ん中に置けば、稼げない人は波の中に放り出されるかもしれない
一人ひとりにとって、守りたい人や価値観を守ってくれるのが、どの政党なのか、どの人なのか、考えて投票する選挙になればいい。
このままだと、自公政権は過半数を取れなさそうだ、と聞くようになった。
立憲民主党がトップの政権は、私には怖い。
ガッカリする政策や、とんでもない外交問題が起きるかもしれない。
生活も、実際はさらに苦しくなるかもしれない。
でも、政権交代が起きると、年老いた政治家の時代は一気に終わる気がする。
ふと思ったが、自民党に若くて力のある議員はいるんだろうか。
私は今の立憲民主党の雰囲気は好きではないが、若い政治家できらめく人はいる。
今回の選挙が、国民の強烈な痛みを伴っても、力強い新陳代謝となって、変わっていけることを期待している。
おやすみなさい。
サイゼリアはグランドメニュー変わったと聞いたけど、そんなに変わっていなかった。