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視力6.0の山守と、今年の1文字
一歳違いのいとこが、岐阜県の山深い村落の人と結婚した。
30年近く前の話。
彼の親代りだった私の両親の、東京からの自動車の運転係として、結婚前後にその集落に行ったことがある。
山の中ながら、集落は開けて明るく、湧き水が豊富で周りは山に囲まれ、日本に天災や人災が起きても、この集落は当面生きていけるんじゃないか、と初めて思う地域だった。
その家は、昔から林業を行っていて、山の管理を任されていた。
受けた歓迎は、新緑の時期。
山に行って山菜を採ることだった。
一般の人が入ることのできない林道に入り、様々な山菜を採った。
確か70歳を越える方がいらっしゃって、色々教えてくださった。
子供の頃から山の中で生きていると、隣の山の、山肌にいる小さな動物を見つけられることができるそうで、その視力は今で言えば6.0に相当するという。
私も視力は良かったが、2.0が最高で、そのおじいさんが見えている遠くのものは見えなかった。
また、この山は、檜の山だ、と教えてくれた。
檜が儲かるからと、当時の国策だったのか檜ばかり植えたという。
「そんなスゴイ価値のある木ばかりのある山を管理されているなんてすごいですね!」
と言ったところ、意外な返事が返ってきた。
「檜ばっかり植えると、山が弱くなる。いろんな木が育っていなきゃ駄目だ。」
換金可能な高価なものがいっぱいあることが、価値のあることだと思っていた若い頃の自分には、衝撃的だった。
今で言えば、多様性のど真ん中の話だ。
もう一つ教えてくれたこと。
木を植えて、それを伐採する時には自分達は生きていない。子孫のために植えるし、ご先祖のおかげで、自分たちはこうして生きている、と。
教わったことが沢山あり、いまだに思い出す。
いま調べたら、きっと、こんな人たちだったんだろう。
話は飛んで、最近の事。
うちの店の近所に住んでいる方が司会をされた、田原総一朗さんと立憲民主党の若き代議士小川淳也さん、そして若い参加者限定のトークイベントのYouTube動画を見て思ったこと。
小川淳也氏は、消費税を25%にすべき、と言っている。
北欧では、それぐらいの税率は受け入れられていて、それだけ取られても、必要なところにちゃんと使われている、不正はないと認識している国民が絶対多数なのだそうだ。
この話を思い出すと、先ほどの大先輩たち、「山守」のことが浮かんできた。
大事なものには簡単には手を付けず、人生をかけて大切に育て、会うことのない子孫に手渡せることを夢見て、人生を終える。
そんな時代があったのだ。
そんなことを考えていた時に見た、今年の漢字一文字。
めちゃくちゃ、私達、税金、社会保障費、キツイ。
北欧みたいに、払った税金が、納得の行くように感じていないから、一層キツい。
どうすればいいのか。
話を最初に戻すと、林業を生業に何世代も営んでいる人にとって、植林や管理は、今の言葉で言えば「投資」だろう。その時だけを考えればキツくても、将来子孫に返ってくる未来があるからできる。厳しい年もあっただろうが、それが子孫を育んでこれた。
北欧の人にとって高い税率の納税は、ネガティブな意味での「課税」ではなくて、未来への投資と、考えているんじゃないだろうか。
ネガティブ意識が覆う日本で、納税が投資と思えるようなポジティブな変化が起きれば、世の中は少しずつ明るく、全体の幸福感は増えていくだろう。
これから、そう思えなければ、よりいっそう煮詰まっていき、若い日本人が仮想敵を自国の高齢者とする時が来るも知れない。
それを煽る国もあるだろう。
これは大変だ。超高齢化時代に、介護の若者たちが大規模なストライキを起こしたら…
そこまでこじれる前に、ウォーミングアップとして私の年代を生贄にするシュミレーションから是非若い人は始めてみては。
笑えないけど、楽しみだ。
カーツ大佐からの声が聞こえる。
終わらない歌を歌おう。