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「石」の巻 魯曼停スピンオフ①
今回、何故石巻なのか、何故魯曼停さんというバーの名前が何度も出てくるのかは、旅行記のついでではとても書けないので、特別投稿として記しておきたい。
絶対に継がないと言っていた家業を私が継いで数年が経った時のこと。
全く考え方の合わない父と毎日ぶつかり限界に来ていた。
20年くらい前のある年のお盆直後、突然反射的に店を父に任せて2日休んで旅に出ることにした。
まだ世の中はギリギリお盆休み。混んでいるところには行きたくない。宿を探すこととか考えたくもない。
その年の7月の終わりに東松島方面で大きな地震があり、宿泊客は少ないだろうと考えて、行ったことのない石巻に决めた。
お金もかけたくなく、青春18切符を2日分手に入れて、各駅停車で向かった。
電車の中では「もう、こんな父とはやってられない。こんな仕事では結婚も出来ないだろう。両親を看取ったら、坊主になろう。」と自分に言い聞かせ自分を納得させていた。
尾久駅から宇都宮方面に向かう始発電車に乗り、仙台に着いたのはちょうど正午頃。
駅地下だったか、天ぷら「綱八」があり、何故かそこで食べた。
石巻に着いたのはきっと午後2時くらい。
当時、私は旅先ではいつも、街を1時間ぐらいくまなく歩き続けて、夜飲みに行く店を決めるのが好きだった。
石巻でもそうした。なかなか見つからなかったが、駅から少し離れて、すぐ旧北上川の所に気になる店を見つけた。
良いお店を見つけるポイントはいくつがあり、それにも合致していた。
この本が面白くてその頃何度も読んだ。参考になったし、お店でのマナーも知ることが出来た。
夕方になり、緊張しながらも開店時間過ぎに入店した。
真空管アンプのあるお店。お酒は3合(杯?)までの表示。カウンターメインのお店。
奥田民生みたいな雰囲気のマスターが現れた。
まずはビールを頼む。ハートランド生だ。
つまみも頼んだのはずだがそれは覚えていない。
しばらくすると、常連さんでカウンターが埋まってきた。明らかによそ者の私を。常連さん達は意識しているのを感じる。
あと日本酒一杯飲んだらもう規定量だ。残念だと最後の一杯を頼んだ頃、ふとオーナーさんか常連さんが私に聞いた。
「どっから来たの?」
東京から各駅停車を乗り継いで来た、と答えると一瞬でお店の空気が変わった。
そこにいた常連さん達から「面白いなぁ〜、本当に?飲め、飲め」とどんどん注がれる。
「いいんですか?」と聞くと「一応書いてあるだけだから。あなたは良いよ」とリミッター外れる。
「ここのハートランドは旨いんだよ。仙台行っても生はなかなか飲めないから、地元に帰ってきてここが楽しみなんだ。」と常連さんが教えてくれた。
ある時、マスターが勝手口?厨房?で誰かと話している雰囲気。戻ってこられると「お客さん、ホヤ食べられる。今採れたのが届いたんだけど」と言われ、是非にとお願いした。
(あの食器洗剤みたいな味がする、珍味なやつの採れたてって、もっとそんな味がするのかな?)
と思いながら待った。
出て来たホヤを一口食べる。
臭みがないどころではない。まるで南国のフルーツだ、こんな旨いものがあるのか!これが貝なのか?
強烈な記憶として今も残っている。あの時以上に旨いホヤにまだ出会っていない。
夢のような時間が過ぎ、そろそろ新参者は帰ろうと、頃合いを見て宿に戻った。
そして翌日、ゆっくりチェックアウトしてまた、東京に各駅停車で向かった。
その次の日からまた仕事が始まる。もう両親を看取ったらお坊さんになると決めて、少しだけ気持ちが楽になっていた。
昼飯の時に、珍しくパンがあったので、それを食べることにした。
硬いパンを、めんどくさいから手に持ってガリガリとパン用のナイフで切っていると、近くに住んでいる姉が来た。
「オサム(私の名前)、オサムと結婚したいって女の子が来たよ。このパン、その子から貰ったの。また来るって言っていた。」
私は誰のことかも全く想像できず、あまりにも突然で我を失って、気がついたらパンと一緒に自分の手のひらまで切ってしまっていた。
執着していたものを手放した時…、というのはまさにこのことだ。こんな事あるのか。
私はいま、その人と結婚して今に至る。
石巻マジックである。
(一回では終わらなかった。次号に続く)