【シャニマス】西城樹里の金髪は『黄金の覚悟』
毎度!てつROWです。円香パラコレでぐちゃぐちゃに引き裂かれマンになっておりますが今回も元気に #シャニマスBOC楽曲解釈部 です。なぜなら逃避の末に言葉が溢れ返りそうだから。
こちらの記事は私てつROWがシャニマスのアイドルたちを勝手に好きなバンド『BUMP OF CHICKEN』の楽曲とその歌詞で解釈していく怪文書シリーズ。なんだかほぼ連載化しておりますが性懲りも無く続けます。今回は西城樹里ちゃん編です。
樹里ちゃんのS.T.E.P.が異様に好きなんですが、それ以前から西城樹里の生き様ってかなりBUMP OF CHICKENの『firefly』とシンパシーしているなって思っていたんですよね。なんか過去ニコニコ動画にそういうMADを作って投稿していた方がおりまして、作者の方にガッチガチの握手をした後にカッチカチのハイボールを5杯くらい奢りたい気持ちでいましたし、ここにも是非リンクを貼りたいと思っていましたが2024年7月現在ニコニコ動画は残念な状態になっておりますので断念させていただきます。
BUMP OF CHICKENのfireflyについて
諦める勇気を言葉にした歌です。また同時に、諦めることには勇気と覚悟が必要で、しかもその経験で見出されるものがあるということを歌っています。曲中ではその様々を「金色」と表現しています。
MVがYouTubeに公開されておりますのでご覧いただきながら樹里ちゃんのS.T.E.P.を読んで頂ければなと思います。
私は度々、樹里ちゃんのS.T.E.P.コミュを「樹里ちゃんの金髪がもっと綺麗に見えるようになるコミュ」として宣伝するのですが、どういうわけかfireflyの金色は樹里ちゃんの金髪で余すことなく解釈できるんですよね。
では今回もいつも通りフレーズとコミュのシーンを引用しながらやっていきましょうか〜。
これは樹里ちゃんとお兄さんとバスケです。
樹里ちゃんはお兄さんと一緒にバスケをしていました。しかもお兄さんは選抜選手として全国レベルでプレーをする実力者。樹里だってきっとその背中を追いかけてバスケをやっていたことでしょう。樹里ちゃんが追いかけていた最初の金色です。コミュの冒頭では、樹里がバスケに対して抱いている気持ちがたった一言で伝わって来ます。
しかし、樹里はバスケを続けられなくなってしまいます。なんかここは二番の歌詞までガッと紹介した方がピンとくると思うので次に行きます。
樹里はバスケを続けられなくなったというか、やめなきゃいけない状況に陥ってしまうんですよね。怪我、トラウマ、兄との対比……。チームを探したり部活に入ったり、頑張ってどうにかしようとしますが、悉くうまくいかず、まさに頑張りの関係ない事態に陥ってしまいます。
そして樹里は生きている意味を考えてしまうのです。バスケがなくなったら自分には意味があるのだろうか?
landing pointのコミュ中では、中学の同級生から似た状況になったという内容の手紙を受け取とります。S.T.E.P.でバスケから離れなければならなくなった時の樹里と、LPで手紙をくれた同級生は、あまりにも心境が似ていた。その後、「私も同じような経験をした」とバラエティ番組で話すシーンもあります。
そして樹里は髪を染めます。金髪に。世間から離れるために。もっと雑な言葉を使うとグレようとします。バスケから離れるために。
生きがいと決別するのにどれだけの勇気と覚悟が必要だったのだろう。考えるだけでしんどい。樹里は本当に苦しかっただろうな。生きているだけで精一杯だったはずだ。
けれど、その金髪を綺麗だという者が現れました。世間から離れるための、金色を。
樹里はこの金髪がきっかけで、アイドルという次なる金色を追いかけ始めます。ただ、ここからアイドルを始めるということにも、相当な覚悟が必要だったはずです。樹里にとってアイドルとは、バスケほど綺麗な光になりえるのだろうか。そこに踏み出すのにも、同じくらいの覚悟が必要だったでしょうね。
とまあ、アイドル活動をしはじめ、放クラのみんなと絆を結び、樹里の生活は大きく変わります。樹里の本質的な努力家の面も綺麗にハマり、アイドルの道を突き進んでいきます。バスケをしていたあのころのように彼女の生活はまた輝き始めました。
landing pointのコミュ中では、同じ気持ちになった人に手を差し伸べられるくらいにはアイドルとして大成していくわけです。
樹里にとってバスケとは永遠に追いかけ続けるもので、決して諦めたものではないです。
今もどこかを飛び、追いかけ続けている輝きです。
そして同じくアイドルも、今の樹里が追いかけている輝きです。
樹里にとってバスケとアイドルは同じ金色の輝き。一つを諦めるために施した金髪が生み出し、気づかせてくれた二つの輝きです。
だとするなら、西城樹里の金髪はまさしく『黄金の覚悟』だったと言えるでしょう。