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ヒマワリ

ゴッホのヒマワリのポスターを家に貼った。

ちょっと変わった家になった。

そんな自分の家が好きだし、そんな自分が好きだ。

この絵と出会ったのは小学生の時だ。
人とは違った出会い方をしたと思う。


私は卑屈な小学生だったが、卑屈なりに卑屈な友達がいた。

名前を『二宮』としよう。

これは二宮が学校に飾ってあった ヒマワリ の前で話した話だ。

『学校の7不思議って知ってる?
俺一つ知ってるんだ。このヒマワリの絵はたまに花の数が変わるんだぜ。
俺この前花の数が変わるの見ちゃったんだよ。
それ以来怖くてさ、、、』


大人になり家のポスターのヒマワリを見て考えた。


『なぜこんな怪談が生まれたんだろう?』


以下は私の想像した話だ。




子供って言うのは、好奇心が強い。

きっとこのヒマワリを見て、なんこ花があるかな?って数える子は多いじゃないかな?

それでいて『沢山花を見つけた方が、偉い』なんていう幼心のマウントもあったと思う。

このヒマワリの絵の中には、枯れたヒマワリとまだ枯れてないヒマワリがあるんだ。

だから『ヒマワリが枯れた姿を知っているかどうか』で何個の花を数えられるかが変わるんだよね。


例えばこんな事もあったと思う。


ある日クラスのレクリエーションの時間で、クイズ係がクイズを出した。

Q 踊り場のヒマワリの絵には花が何個あるでしょう?

面白いクイズだけど、彼らの世界では、花の数が人によって違うから後で揉め事を引き起こしたんだろうな。

学校の先生は正解を確定させる事なく、答えをあやふやにして、仲直りさせたと思う。

日本って国では大体の揉め事の解決はこれだ。

ヒマワリの花の数は子供達にとっては何個か分からずじまいさ。

未知は恐怖を呼び、件の話の完成さ。

ところで、この話には続きがある。

実はこの怖い話をしてくれた二宮くんとは中学、高校も同じ学校に通ってなんやかんや仲良かったんだ。

けど、最近音信不通なんだ。

彼には虚言癖があって、意味のない嘘を沢山ついてた。

一流企業に就職したって嘘がばれて以降、俺達の前に現れてないんだよね。

そんな事を思い出した時、

『ヒマワリの話も実は彼の嘘だったんじゃないかな』って思ったんだ。

彼の嘘のつき方には特徴があって、捉え方によっては嘘じゃなくなる嘘なんだよ。

本当は一流企業の子会社に就職してたのに、あたかも本社採用のように偽ったりね。

多分彼はヒマワリの数が人によって変わることに気がついて、あの嘘をついたんじゃないかな。

怖い話を実際に経験したってのは子供の世界でのマウントとして有意義すぎるからね。

とすると本当はなにもない嘘から、僕はここまでの話を作り上げたことになるのか。

人間ってのは面白いね。

お金とか、国家とか、宗教とかみんな人間が何も無い所から作り上げたんだもんね。

結局この話には人間の営みと同じくらい意味は無かったってことさ。

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