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5分でわかるフランスクラシック音楽の作曲家:セシル・シャミナード

セシル・シャミナード(Cécile Louise Stéphanie Chaminade, 1857-1944)はドビュッシーと年代が近い近代の作曲家であり、「女性として初めて音楽で生計を立てることに成功した作曲家」と言われています。クラシック音楽史の観点からは名前が言及されることは少なく、今ではサロン音楽家としてたまに名が挙がる程度の存在でしかありませんが、魅力的な作品も多く残しているので今回解説していきます。


シャミナードの生涯

シャミナードは1857年にパリに生まれました。シャミナードの家庭は非常に裕福だったそうで、楽器演奏ができた両親のもとで音楽に触れながら育ちました。

シャミナードが最初に作曲をしたのは8歳のときと言われています。その才能を感じ取った母はシャミナードに個人教師をつけて音楽を学ばせました。というのも、このときはまだパリ音楽院は女性を受けれていなかったためです。彼女は作曲をヴァンジャマン・ゴダールに習うことになりました。

シャミナードは10代の頃からサロンに出入りしており、そこに通っていたシャブリエやビゼーなどと接触していました。彼女は幼いときにビゼーに褒められたというエピソードも残っています。

シャミナードが最初にコンサート出演をしたのが20歳となる1877年。彼女は当初ピアニストとして名を上げていました。 

シャミナードは国民音楽協会(1871年にサン・サーンスが中心となり発足した音楽振興文化団体)にも所属しており、この協会が取り上げたコンサートにも参加をしています。

彼女は、ピアノ音楽以外にも、このときからバレエ音楽や管弦楽など大規模な作品も書き始めました。後に彼女は国民音楽協会を退会していますが、そこには女性作曲家の成功をよく思わない周囲からの圧力もあったのかもしれないと推測されています。

しかし、当時のシャミナードの人気は健在であり、楽譜も売れ、彼女自身もヨーロッパの数多くの国でコンサート活動を行い、さらにはヴィクトリア女王の御前演奏も行っています。シャミナードは44歳のときに結婚していますが、この時代にしては珍しくお互いが仕事のために遠く離れて別居するという遠距離結婚生活をしていました。 

その後シャミナードはアメリカでの演奏旅行も実現させました。音楽批評家の中には、彼女を評価しない人も多かったといいますが、一般大衆はシャミナードを熱狂的に受け入れたと言われてます。

その人気はシャミナードを研究する集団がアメリカ各地に作られたほどであったと言いますが、その熱が冷めた後、彼女はアメリカを去ってしまいます。

第一次大戦後は、シャミナードにとってつらい人生であったといいます。戦後に経済は不安定になり、体が不自由になってしまったこともあり、シャミナードは疲れ果てていました。最終的には世間から離れて暮らし、晩年はモンテ・カルロに移住しますが、そこでの生活もよくならないまま、87年でその生涯を終えました。

シャミナードの作風

シャミナードは、生涯200曲近くのピアノ作品と、130近くの歌曲を残しました。シャミナードは小規模で難しくなく、かつ親しみやすいその作風ゆえに、今ではただの1サロン音楽家としてレッテルが張られており、あまり評価を受けていません。

ほとんど忘れさられた存在であり、作品の多くがパリ国立図書館にすら残されていない状況だと言われています。

シャミナードは、確かに管弦楽曲やバレエ音楽などの大規模な音楽も残しており、易しいものだけでなく、演奏会用の練習曲も書いているものの、基本的にはサロン音楽風の小規模な作品を多く残した作曲家でした。

もちろん、まったく評価がなされていないわけではありません。ノーマン・デマスは自身の著でシャミナードをフォーレの音楽と比較しており、作品の深遠さの点ではフォーレの音楽には劣るものの、美しさや優美さ、歌うような旋律は彼の作品に匹敵すると述べています。

シャミナードの魅力は、さまざまな作曲技法を用いて精巧に作り上げて得られるのでなく、叙情的で甘く、ときに感傷を誘う旋律によって最大限に発揮されます。

シャミナードは、近代音楽の大家であるドビュッシーと年代が近く、さまざまな流派が現れた20世紀初頭を生きましたが、その流れには乗らず、作風は極めて古典的でした。

シャミナードはドビュッシーの音楽が自分の好みに合わないことを明言しており、自分自身に対し「音楽に旋律を求める古臭い人間」というような自虐的な発言を残していることが知られています。

シャミナードの音楽には、確かに、ショパンやフォーレのようなロマン派の音楽を思わせる甘くうっとりするものもしばしば聞かれますが、曲の輪郭は明瞭で、メンデルスゾーンの作風のように、使われているハーモニーの明瞭さはロマン派よりも古典派ともいえるかもしれません。

あいまいな和声進行や旋律は彼女の作品では非常少なく、あくまで旋律は明確です。

シャミナードは、前述のように多くのピアノ作品を書いたものの今はもう絶版になってしまったものが多く、CDもあまり出ていないようです。

そこには女性作曲家という地位の低さもあったのかもしれませんし、クラシック音楽というジャンルを考えたとき、規模の大きいものでの成功が必要だったのかもしれません。

しかし、彼女の小規模で優美な音楽は、クラシック音楽の壁を越えて、多くの一般大衆にも受け入れられる今でこそ再評価されるべき音楽ではないかと私は感じています。

主要参考文献

吉澤恭子 “セシル・シャミナード” 『女性作曲家列伝』小林緑編著 平凡社 1999年

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