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毎日の暮らしを豊かにする余白/暮らしの縁側

ブログをはじめて「めざせ余暇人!」をテーマにブログを書いてきました。これまでもがきながら書いてみたところ、毎日の暮らしの中で「余白」の大切さに気付きました。

そこで、今日から、毎日の暮らしを豊かにする余白を探し考えていきたいと思います。

内でも外でもない余白としての「縁側」

私の実家には縁側がありました。部屋と屋外との間にある、内でも外でもない、独特の空間です。そこでは、近所の方がふらりと訪れて、お茶を飲みながら話をする光景がよく見られました。

縁側には、自分の空間(自宅)でありながら、他者を気軽に受け入れる余裕、すなわち「余白」が存在します。そして、その「余白」こそが、人と人をつなぎ、温かいコミュニティを育む場としての役割を果たしているのではないでしょうか。

この内でも外でもない縁側という空間が、地域での暮らしを豊かにしていたと言えます。同じように、自分の中に内でも外でもない余白を持つことで、毎日の暮らしのが豊かになるのではないか。そんなことを考えながら、暮らしの中の余白を探してみることにします。

日本家屋の縁側

縁(ふち)と縁(えん)

今日、急に「ふち」と「えん」を漢字で書くとどちらも「縁」であることが気になりました。「ふち」と「えん」はどうして同じ漢字を使うのでしょうか。そこにどんな意味があるのか調べてみました。

漢字の「縁(ふち)」は、もともと「糸へん」に「つるべ井戸の滑車から水があふれる形(井戸の滑車にかけられたつるべの桶から水があふれる形)」を組み合わせたもので、これが転じて、糸でできた布の端から糸があふれ出ている様子、つまり「布の端」を意味するようになりました。

一方、「縁(えん)」は、仏教用語の「縁起(えんぎ)」に由来します。

縁起とは、すべての物事は単独で存在するのではなく、様々な原因や条件が関わり合って生じているという考え方です。この「関わり合い」を「縁」と呼ぶようになり、人と人との繋がりや、物事との巡り合わせを意味するようになりました。

一見すると異なる二つの意味ですが、どちらも「繋がる」という共通点を持っています。
「縁(ふち)」は、布と布、あるいは布とそれ以外のものを繋ぐ「端」の部分。
「縁(えん)」は、人と人、あるいは人と物事を繋ぐ「繋がり」そのもの。

網の目の学び

仏教思想家の松原泰道氏は、この二つの意味の繋がりについて、網の目に例えて説明しています。

網の目は、個々の縁(ふち)が四辺を共有することで成り立っています。
もし、一つの網目の縁(ふち)を切り取ると、すべての網目に影響が出て、網は形を保てなくなります。

四辺を共有する網

これは、人と人との繋がりも同じで、一つひとつの縁(えん)を大切にすることで、全体が成り立ち、より良い社会が築かれていきます。

さて、家の縁側も家屋の縁(ふち)にあるとともに、人との縁(えん)をつなぐ場と言えます。この余白が地域の暮らしを豊かにしてきました。
自分の中に内でも外でもない「暮らしの縁側」とも言える「余白」を持つことで、私たちは豊かな毎日を過ごすことができるのではないでしょうか。