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毎日の暮らしを豊かにする余白/余裕や隙間それは「遊び」

時間や空間的な余裕を表す時、「遊び」と表現することがあります。

本来の「遊び」は、自由で自発的な活動であり、そこには「余裕」や「ゆとり」が伴います。この「余裕」のイメージが、時間や空間の余裕にも転用されたと考えられます。

遊びの語源には諸説ありますが、一説によると、漢字の「遊」は、「辵」と「ゆれ動く」意と音とを示す「斿(ゆう)」によって構成され、「ゆっくり道を行く」という意味と共に、「あそぶ」という意味も持っています。

例えば、

機械部品の「遊び」は、部品同士がスムーズに動くように設けられた隙間のこと。
スケジュールの「遊び」は、予定と予定の間に余裕を持たせること。
建築における「遊び」は、構造物にゆとりを持たせて、変形や振動に対応できるようにすること。
こうして並べてみると、「遊び」は、物事を円滑に進める上で、重要な役割を果たしているように感じます。

「粋」と「遊び心」について考えてみる

「遊び」について考えていると、「粋」と「遊び心」という言葉が気になりました。
粋で遊び心のある大人はカッコいいと思いますが、現代社会において、「粋」と「遊び心」をどのように捉えれば良いのでしょうか。

「粋」と「遊び心」は、どちらも日本の文化や美意識を語る上で欠かせない要素であり、密接な関係があります。

「粋」

まず、「粋」について簡単に説明すると、江戸時代に生まれた美意識で、洗練された都会的なセンスや洒脱な行動を指します。

「粋」には、
意気地が良い
義理人情を大切にする
華美すぎず、質素すぎない
客観的な視点を持ち、冷静沈着である
ユーモアがあり、人を笑わせる
といった要素が含まれます。

「遊び心」

一方、「遊び心」は、枠にとらわれず、自由な発想で物事を楽しみ、喜びを見出す力のことです。

「粋」な人は、常に「遊び心」を忘れず、人生を楽しんでいます。
例えば、

厳しい状況でもユーモアを交えて乗り切る
伝統や格式を重んじながらも、新しいものを取り入れる
周囲を巻き込み、場を盛り上げる
など、「遊び心」があるからこそ、「粋」な振る舞いができるのです。

「遊び心」は、時に幼稚な印象を与えたり、度が過ぎてしまったりすることがあります。
しかし、「粋」の精神に基づけば、「遊び心」は洗練され、より魅力的なものになります。

例えば、
下品な冗談ではなく、ウィットに富んだ洒落を言う
目立ちたがり屋ではなく、さりげなく個性を表現する
周囲に不快感を与えることなく、場を和ませる
など、「粋」な感性によって、「遊び心」はより洗練されたものになるのです。

「粋」と「遊び心」は、どちらも人生を豊かにする上で重要な要素です。

「粋」な人は、「遊び心」を持って人生を楽しむことで、周囲の人々を魅了し、自分も幸せな人生を送ることができます。
また、「遊び心」のある人は、「粋」の精神を学ぶことで、より洗練された人間へと成長することができます。

「粋」は江戸時代の男性、特に町人の間で生まれた美意識であり、彼らの生き方や行動様式を表現する言葉として使われてきました。つまり「粋」は、江戸時代の男性のめざす在り方だったのではないでしょうか。

そうすると、今を生きる私たちは、私たちなりの美意識を持って生きて行くことが、現代の「粋」と言えるのかもしれません。