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目指せ余暇人!/働くを考える

60歳を前にして余暇人を目指すことにしました。今週は自分が目指す「余暇人」とはどんな人なのか考えます。今日のテーマは「働くを考える」です。

日本人旅行者が、のんびりと釣り糸を垂れるアフリカの漁師を見て、「網を使えばもっとたくさんの魚が捕れるのに」と声をかけます。
すると漁師は、「たくさんの魚を捕ってどうするんだい?」と尋ねます。
旅行者は、「魚を売って、お金を貯めて、大きな船を買えば、もっとたくさんの魚が捕れるようになる」と答えます。
漁師はさらに、「そうして、どうするんだい?」と尋ねます。
旅行者は、「もっとたくさん魚を捕って、お金を貯めて、会社を大きくして、いずれは引退して、湖畔でのんびり暮らすんだ」と答えます。
すると漁師は、「私は今でも、毎日湖畔でのんびり暮らしているよ」と微笑みます。

アフリカの漁師の逸話

暇(いとま)とは、仕事と仕事の間の自由に使える時間を指す言葉です。そこで、余暇を考える時、そもそも働くことについても考えた方が良さそうだと思い、今日は働くことについて考えてみます。

傍を楽にする

「働く」の語源には、「傍(はた)を楽にする」という説があります。これは、江戸時代の国学者・本居宣長が提唱した説で、そして広く知られています。
「傍」とは、周りの人、隣人、社会などを指します。「楽にする」とは、物質的にも精神的にも、周りの人の負担を軽くしたり、助けたり、喜ばせたりすることです。言い換えれば、「働く」とは、自分以外の誰かのために役立つこと、社会に貢献することと言えるでしょう。

日本が和暦を使っていた頃、現代のような祝日という発想はありませんでした。「働くこと=傍を楽にすること」という考え方は、共同体の中で互いに助け合い、支え合うことを重視する価値観を反映しています。この価値観においては、労働は苦役ではなく、共同体への貢献や自己実現として捉えられます。

こうした環境下では、労働と余暇の区別は明確ではなく、生活の中に自然と溶け込んでいたと考えられます。また、余暇の過ごし方についても、現代のように個人の自由な時間というよりは、共同体全体で楽しむ祭事や年中行事などが中心だったのではないでしょうか。

本居宣長

余暇人は働き方にもこだわる

働く目的を、お金を稼ぐことだけに限定してしまうと、冒頭の日本人観光客のような発想になるのだと思います。一方、共同体への貢献や自己実現として捉えると、働き方や余暇の過ごし方が変わってくるのではないでしょうか。
現代社会はある程度のお金を稼ぐことから逃れることはできません。しかし、働くことは生活の糧を得るための手段であると同時に、社会貢献や自己実現の手段でもあります。また、余暇も生活を充実させ、自己実現を図るための手段であると言えます。
人生の目的を自己実現とすると、働くことと、余暇を過ごすことは一体的に考えることが望ましく、真の余暇人は、余暇の過ごし方だけでなく、働き方にもこだわる必要がありそうです。