上野の森って...森!?
2017年12月27日の10時半頃、私は上野の森を歩いていた。
だが、ここは森というものに対して私の抱いているイメージとは違った。
森を『新明解国語辞典』第七版で引くと、以下のように定義されている。
もり[0] 【森・〈杜】
〔遠くから見ると濃い緑が盛り上がって見え、近づいて見ると日のさすことが ほとんど無い所の意〕
まわりに比べて際立って高く大きな木が茂っている所。
〔日本では、多く神社や旧家が有って、その一帯が四辺から顕著に区別される所を指す〕
前日に行った明治神宮の森は、この定義によって喚起されるイメージと一致しているのだが、上野の森というのは、今では神社を中心としているわけではないし、日のさすことがほとんど無いほど木が茂っているわけでもない。
うん、不思議だ。
正式には上野恩賜公園で、通称が上野公園だが、上野の森と呼ばれて文化施設が集中する場所として、都民に親しまれているらしい。
でもやっぱり、森って感じじゃない。私のような疑問をもった人って、他にいないのかなぁ。
そんなことを考えながら、冬の晴れた日に散歩をした。
森という語の表す意味に、どのようなものが含まれるのかということは、言語学ではカテゴリー化の問題として捉えられる。
『新明解国語辞典』の定義にあるようなものが、森という語が喚起する典型的なイメージなのだろう。
このような典型的なイメージを、その概念の原型という意味でプロトタイプと呼んだりする(プロトタイプって言葉は、一般にフィギュアとか機器の試作品、つまり零号機のようなものを指すんだけど、原型という意味では同じだと言える)。
そこから離れたものは、そのすべての特性を含んでいるわけではないけど、いくつかの特性をもっていたりする。
上野の森は、神社があって日が差さないほど木が茂っているのではないけど、木がたくさん生えているという点では、森の特性を一部もっていると言える。
これは、スズメやハトなどのプロトタイプ的な鳥が羽毛やくちばしがある、飛べる、などのほとんどの鳥特性をもっているのに対して、ダチョウやペンギンは飛べるという特性を欠いている。これと同じことである。
上野の森というのは、カテゴリー化に関して言えば、鳥でいうとダチョウやペンギンのような、非プロトタイプ的・非中心的な、いわば周辺的な例だと言えるのではないか。
...といったことを、上野の森を散歩したときに考えた私は、やはりただの言葉オタク、もとい言語学者ってことになるのか。