明治神宮の森を歩いた午後
2017年12月26日の15時頃、表参道から原宿を通って明治神宮に来た私は、100年かかって作られたという明治神宮の森を歩いていた。
この行為そのものに、何か意味があったのかどうかはわからない。
ただ、とにかく現地を自分の足で歩いてみるというのをやってみたのだ。
どこまでも続く森。
なんか「まんが日本昔ばなし」を見て泣いていた幼い頃のことを思い出した。
なぜ昔ばなしを見て泣いていたかというと...
よく昔ばなしでは、深い森の奥などにどんどん進んでいく場面が出て来る。
そのような場面で、私は登場人物に感情移入しすぎて、「この人どうなるの、帰れるの?」「いやだ、怖い」のような感覚を覚えて、そのために泣いていたのだ。
今考え直してみると、どうせお話だし、最後は帰れるなり、帰れずに死ぬなりに決まってる、外野が心配してもしょうがないと思えるのだが、当時の私はそれだけ純粋な気持ちで「まんが日本昔ばなし」を見ていたということなのかもしれない。
どこまでも続く明治神宮の森を歩きながら、私はふとそんな感覚を思い出していた。
長い間忘れていた感覚だったのに...
忘れていた感覚が、何気ない新たな体験によって、ふとフラッシュバックすることってあるよね。
明治神宮の原宿側のカフェがある入り口から入って、森を歩き続けた私は、原宿には戻らず、そのまま代々木へと抜けた。
結局ある意味「帰らなかった」わけだが、帰らなくても、袋小路でなければ道はどこかに続いている。
ひょっとすると人生も道みたいなもんで、進んでいけばどこかにたどりつく、そういうもんなんじゃないかと思った。
知らず知らず 歩いてきた
細く長い この道
振り返れば 遥か遠く
故郷(ふるさと)が見える
なんて歌もあったしね。
今、私はどのあたりにいるのだろうか、どこへ行こうとしているのだろうか。
明治神宮の森を歩きながら、ふとそんなことを考えていた。