自分はお絵描きが苦手のはずだった②
今投稿している今日の1枚シリーズは、
おそらくほとんどの人にとって「これは何を描いているんだろう?」
という感覚ではないだろうか。
しかし、自分はお絵描きが苦手のはずだった①で
最後に紹介したお絵描きの延長線上にあると言えば
少しは伝わるだろうか。
あのなんだかわからないものを私が素直に楽しんでいるということが。
○お絵描きにいつ目覚めたのか
そうはいっても、新しく知ったお絵描きをずっと続けていたわけではなく、
しばらくはそれほど関心はなかった。
教えてもらってから数回やってみた程度だ。
高校に行って以降は、美術の授業を受けることそのものがなかったので
なおさら私はお絵描きから離れていった。
それから何年も経って、
ある時小さな紙に自分が“落書き遊び”をしていることに気づいた。
ほぼ暇つぶしだったが、何となく楽しんでしていたのは確かだ。
その落書き遊びは、もともとメモ書きに使う小さな雑紙にしていた。
急に絵を描き始めたのではなく、最初は文字を書いていたものだ。
不意に私が始めたのは、
その文字の1つを少し手間をかけてデザインする、
と言う感じだろうか。
最初からイメージをもっているのではなく、
書いた文字を太く見せたり、文字から滴る水滴のようなものを足したり、
その滴った水滴の水たまりをつくってみたり…。
ただただその時思いつくままに継ぎ足しを続けて、
気がつけばただの情報を書きとめたメモではなくなっていた。
なんとなく描いていて楽しい、
自分にとって見応えのあるメモをつくってしまっていた。
おそらくこの辺りが私がお絵描きに目覚め始めた辺りだと思われる。
○“何か”を描こうとしない描き方
私が中学校までにしてきたお絵描きというのは
「見たもの・イメージしたものを描く」という行為だ。
もしかしたら本当はそうではなかったのかもしれないが、
私にとってはそう思えた。
そして、「自分はお絵描きが苦手のはずだった①」でも書いた通り、
それは私にとって苦手な行為だった。
その感覚を少し拡張して言い換えると、
「自分の中に意欲も辿りつけそうな期待感もない“答え”をわざわざ決めて、
結果としては“答え”には辿りつけずに終わる。」
それを何年もただただ繰り返していた、と言うことになるだろう。
こう表現すれば、おそらく自分以外の人にも絵の話とは関係なく、
他のことに置き換えて想像することもやりやすいと思われる。
私にとって問題は、この“答え”だったのだろう。
そして、先生に教えてもらった新しいお絵描きは
その“答え”という存在を必要としないものだった。
“何か”を描かなくても、“何か”を描けなくても、お絵描きは楽しめる。
今のお絵描きに対する感覚はそんな感じだ。
だから、「○○を描こう」と言うことは特に考えていない。
そして、この“何か”を描こうとしない描き方は、
私に様々なことを気づかせてくれるし、考えさせてくれる。
○どうやって描いているのか
イメージしづらい方もいると思うので、具体的なことを記しておく。
特に必要な技術というものは無いと思っている。
ペン先・筆先がやわらかく大きさのあるものだと、
もしかしたら点にするのが難しい場合もあるかもしれないが。
基本は、ただ点を打つだけ。
小さい紙とペンを用意して、
自分がなんとなく点を打ちたくなったところから点を打ち、
次に点を打ちたくなったところにまた点を打ち、
単純に言えば本当にそれだけ。
(表現が変わっていない…。)
点描画・ドット絵によって非常にリアリティのある、
写真と見紛うような絵を描く人もいるようでそれには驚くばかりだが、
私の場合は絵にするモデルはないし、“答え”がない。
だからどこにどんな点を打っても、
あるいは点を打たなくても、問題はない。
描き始めはもしかしたら難しいのかもしれない、
目標もなく点を打つというのは非常に無計画で、
正に暗中模索とでも言いそうな感触を持つ人もいるかもしれない。
私はただ無邪気にトントントントン…と点を打っているだけだ。
1枚あたり短くてもおそらく30分、長いと2~3時間程度かけて
点を打っているので、少し手は疲れる。
ただ、それだけ時間をかけていると、
そのうちただ点を打つだけではなくなってくる。
○何かに気づき、想いを巡らせる時間となる
最初はただなんとなく、
しかしだんだん自分の知らない自分がいることに気づく。
何かを描きたいわけではないが、
「点をここらへんにもうちょっと打ちたい」とか、
「あ、さっき打った点はいらなかったかも」とか、
「こう点を打っていったら見え方が違うかもしれない」とか、
そういったことをなぜか思い始める。
やっている感触としてそれは自分にとって自然で、違和感はない。
ただ、そう思ってしまう自分自身についても想いを巡らせると、
何とも異様。
描きたいものがないのに、
紙の上に表現されているものにこだわりを持ち始める。
失敗したかもしれない点をふとごまかそうとするように、
その点のことを考えて他の点を打ち始める。
絵の描き方を知りたくてしているわけではないのに、
点の配置からこの点の集まりの見え方を想像し始める。
だからこそ感じる。
ああ、これを自分は絵だと思っているんだな、と。
○絵を絵だと思わせるのは何なのだろうか
絵と言われると何かモチーフや、モデルや、
イメージがあるような気がしてしまう。
作者の表現したいもの、と言ってもいいかもしれない。
それを受け手が汲み取れるかどうかは別なのかもしれないが、
作者自身の意図や想いはあるのではないだろうか。
何らかのメッセージ、何らかの魅力を伝える方法の1つなのだろうか。
ただ、自分のお絵描きには基本的に“それ”はない。
それが決定的な差として、
紙の上のただの模様か、絵と見えるかなのだろうか。
あるいは、何かを受け取ることができたかどうかによって、
それぞれの人にとってただの模様だったり、絵だったりするのだろうか。
(ちなみに自分は美術鑑賞のようなものも苦手だった記憶がある。)
ただ、何かを描こうとしなくても、答えを描こうとしなくても、
紙の上にペンや筆で線を引き、色を与え、
それが目に映った時にほんの一瞬でも人の意識を奪えてしまうような、
そんなものになっているとしたら
それはきっと絵か、絵に近い何かになっているのかもしれない。
○後書き
①、②と続けて色々と書きました。
お絵描きそのものの事ではないことも含めて。
私にとっての描いた絵自体は
自分にとって何となく描き応え、見応えがあって、
人に見せた時などに少し感想なんかをもらえれば、
それで十分満足できてしまいます。
少し手は疲れますが、
お絵描きに苦手意識がある人にも実際にやってもらって、
もし楽しんでもらえたらいいなぁとは思っています。
私の楽しみ方はどちらかというと自分自身と向き合う楽しみ方ですが、
点の置き方や絵の見え方を観察するのもなかなかに面白いと感じています。
ですが、これなら誰でも楽しめるよ、とまで言えません。
他にもお絵描きがイヤになる理由は色々あると思いますので。
ただ、私のように“絵の答え”に縛られたことで得られなかった何かに
このようにして触れられる人がどこかにいたら幸いです。
考え事や書き物に時間をより多く割こうとした時に、 サポートを受けられることは大変助かります。 次もまたあなたに価値ある投稿となるとは約束できませんが、 もし私の投稿の続きに興味や関心がありましたら、 サポートいただけると幸いです。