次男の千夜一夜物語
【次男とのルーティン】
弾丸トークの次男のお話しに本日もお付き合いした。
よくもまぁこんなにも早口で長時間お話しになるなぁといつも思う。
内容は多岐に渡る。
大体は最低一時間ほど休まずに話をする。
彼の場合、話すことが一つの頭の整理なのだろう。
今日もなんやかんやで相当な量(数時間)の情報アウトプットにお付き合いした。
とは言いつつ私自身も彼の話から色々な気づきがある。
その中で大抵言ってくれるのは
"うちに生まれて良かった"
という話。
それは親としてとても嬉しいことである。
はっきり言ってそんなにいい子育てはしてないと思う。私は思うように生きてるだけ。
それもかなり自由奔放に生きている。
そんな私に
お母さんを選んで生まれて来たんだ。
子供は親を選べるけど、親は子供を選べない
面白そうだったからここに来た
他にも色々あるが、生まれて来て良かった話を何度も伝えてくれる事は本当に嬉しい事だと思う。
【オオカミ少年はいい人か】
オオカミ少年の話になった。
「オオカミ少年ってええやつやんなぁー」
から始まった。
何のことだと思った。
「オオカミ少年の話って、最後みんなは少年の話信じへんかったから、(村人達と少年)食べられたんやろ?
そんなん、村人はほっといて自分だけ逃げたら良かったやん。
何で少年は危険やのに自分の事、信じてくれへん村人にわざわざ伝えたんやろか。
少年、ほんまはええやつなんとちゃうん?
なのにあの物語は、少年は嘘ばっかりついていたから村人に信じてもらえなかったっていうところがオチになってる。
嘘つきは悪いって所だけフォーカスされてる。
他にもフォーカスするとこあると思うねんな。」
そうか。
そんな事考えた事もなかった。
よくある昔話。
伝えられたエンディングをそのまま受け取る事はある意味素直なんだと思う。
言われた事を違う角度から見るうちの子たち。
皆と同じように素直に受け取るのではなく、ヒネた角度からモノを言う。
【クリティカルシンキング】
批判的な視点。
この傾向は小学生時代、先生からかなり嫌がられた。
何事も違った角度から解釈し、論破するからだ。
批判的な事は悪くないと私は思っている。
物事を多角的、客観的に見ることが出来る。
皆に流されることなく、感情や主観に流される事なく
"それって本当?"という問いを自身に投げかける事が出来る。
それが批判的思考であり、よくクリティカルシンキングとも言われる。
「なんで?」「それって本当?」「他にはないの?」という疑問を自分にも投げかける事は客観視にもつながる。
もちろん弊害もある。
私が客観視大魔王と心の中で呼んでいる長男は自分事も客観視しすぎて感情が欠如している(ように見える)
また、クリティカルな視点をそのまま相手に伝えると大抵は嫌われる。
嫌われて内申点は悪くなる
嫌われて先生の扱いが変わる
嫌われて目の敵にされる
嫌われて話を聞いてもらえなくなる
しかし批判的視点を止めることはない。
そうする事が自然であり、何が何故悪いかは彼らには理解出来ないから。
そしてごく一部の人にだけ興味を持ってもらえる。
彼らがよかったと言える事はそのごく一部の大人が家にいたという事だと私は思う。
私にとって一風変わったと思われる長男と次男の会話はワクワクが止まらない宝箱のようだ。
【批判的は悪い事?】
彼らは納得する事が見つかれば何も言わない。
つまり何でも批判しているのではなく、純粋に
それってどうなの?
と思うから質問しているまでだ。
しかし大抵の大人たちは"自分に反抗している"と思い、話合おうとしないし、話すら聞かない。
だから一向に話が噛み合わない。
そして嫌われる。
批判という言葉はよく悪いように使われる
*批判するな
*あの人から批判された
*批判的な人
しかし人間色々いる。
同じ考えの人ばかりでは気づきもない。
違った意見があって初めて気づきがあり、それは改善にもつながるのではないか。
みな批判と非難をごっちゃにしている。
批判は物事を違う角度から根拠や背景を明確にした上で伝える事。
非難は根拠ないただの悪口。
非難するのは良くないと私は思う。
その理由は意味がないからだ。
要するに生産的ではない。
改善に繋がらないばかりか、物事を余計に混乱させる。
しかし批判は新しい気づきにつながり改善にもつながると思うのだ。
自分と同じ意見の人は話をしていて心地よい。
でも居心地がいい人ばかりと話していると成長しない。
別に成長しなくてもいいので有れば仲良しだけで構成している組織に身をおけばいい。
それほど居心地良く、楽な事はない。
もちろんストレスもなくなるだろう。
しかし組織として人として成長が必要であればあえて違う考えや意見の人と付き合ってみるのもいいと思ってる。
仕事であれば組織やお互いの成長につながる。
人生では視野が広くなる。
そしてストレスがかかりすぎていると感じたら身を引けばいい。
あくまでも自分の心の余裕の範囲で。
【ありがとう】
言える事はうちの子たちは私にとって刺激的で心地いい。私の娯楽は子供達の会話だということ。
さらに彼らは日々進化している。
批判的ではありながらも伝え方が特に進化してきた。
小さい頃はただ自分の意見を伝えるだけであったが大きくなると、言い方、伝え方を身につけるようになった。
批判的な事柄も言い方次第で相手への伝わり方は全く違う。
批判的視点と相手が受け取りやすいように伝える力が身につけば百人力だと思う。
親子で話をする事でお互い刺激し合い、お互い補い合い、新しい視点を増やし視野を広げている。
そんな親子関係が私にとってとても嬉しい。
私からも伝えるよ。
みんなのお母さんにしてくれてありがとう。
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