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リベラルの対となるコミュニタリアリズムの台頭を願って/サンデルの危惧した未来の僕ら
僕の学生時代は、比較的長かったが忘れえない講義の一つにマイケルサンデルの特別講義があった。下記の書籍は彼の「これからの正義について考えよう」の簡易版にあたる彼の講義録である。上下巻には彼の東大で行った特別講義が収録されている。この講義は公開形式だったので僕もつくばから東京へ出てきて参加したのである。
僕は当時リベラルな思考を持っていた。遺伝子工学を学ぶ学生でもあったし若さゆえの傲慢さもあったと思う。僕は個人の経済的な利益や、名誉にしか興味がなかった。だが彼の講義を受けて考えさせられた。社会と何なのかと。良き市民とはなんなのかと。
あれからもう10年以上経過して、あのとき考えた「これからの正義」は今の正義とどれだけのずれがあるのか考えてみた。当時、野望と希望に燃えていた青年として、現実の世界に向き合ってみよう。
サンデルとコミュニタリアリズム
1980年代以降、、自由主義(リベラリズム)とともに二大潮流を形成した思想傾向がコミュニタリアリズムである。主体性の生産における共同体の構成的な役割を重視するという特徴をもっており、マッキンタイア、テーラーとともに主たる論客であったのがマイケルサンデルであった。
いわゆる個の自由の最大化を求めるリベラルに対して、自由を確保しながらも公共の利益も重視するという中道左派と思えばわかりやすいだろう。
リベラルの進んだ現代社会
彼は度の過ぎたリベラル(個の権利の追及)は、やがて社会そのものをむしばみ機能不全にしてしまうことを危惧していた。現代の社会はアメリカのそれほどではなくとも、かなりの割合でリベラルが浸透している。
自己責任、自分の権利の尊重それにより得られる結果の是非により分断される社会。極端な個人主義に陥った結果,公共心が衰退し,そのことがさまざまな社会問題を引き起こしているという、これはサンデルの危惧したリベラル社会そのものである。
子供を持つことも自由、結婚することも自由、恋愛も自由、いつまでも経済的に独立しないのも自由(できなくなるのも自己責任)と、その結果が、戦後ワーストスリーの選挙率と人口ピラミッドの高齢化シフトだ。
自分の権利の行使に気を取られすぎ、自分とそれに連なる過去と未来に目を向けることさえできなくなっている。あなたの命はあなたのものだろうか?それともあなたに連なる先祖たちの命の連なりなのか?そして未来へとつながるのか?
ミドサーのいい年して、子供も持たず恋愛にうつつを抜かして、自分本位で生きていないか?やれ顔がかっこいい、スタイルがいい、金持ちだ、会計時に財布を出す出さない……。
それは近視的な刹那的な生き方だと僕は思う。
最も成功した社会主義国家 日本
かつての最も成功した社会主義国家とゴルバチョフをして言わせた日本は、公共に対する自身の役割を果たすというところからうまれていた。もちろんそれは荒廃した戦後から人口ボーナスを経て復興していくというプロセスの間でうまく働いていたからである。
人口ボーナスがなくなり、リベラルによる個人の自由の尊重により出産結婚が自由になるにつれてその出生率は下がり続ける。なぜなら嫌だからというただそれだけで結婚や出産を拒否できるからである。1割の人が断る社会では結婚率は0.81倍に、3割が断れば0.49倍にまで低下するのである。
いま無制限な個人の自由こそが社会の継続性を奪っている。
そしてその害をなしている本人は罪の意識もない。
これが今の日本をむしばむ病巣だ。自分にとらわれ次の時代の事すら見えないのである。それは団塊の世代、バブル世代、ロスジェネと続きもう後がない。
それでありながらマッチングアプリでいつまでも終わらぬ青春を謳歌する人々にはぼくは絶望を感じるのである。
どこまでも僕は、人間の善性を信じることができないのである。