「一緒」にこだわる理由
いわき市内で「ココロに潤い、人生に彩り」をテーマにゆるさが心地いい、がんばらなくていいそんな居場所作りをしています。
ワークショップを通じて、多様なロールモデルに出合えて保護者や先生やママ友とは違う価値観が存在するサードプレイスを目指しています。
「一緒に」にこだわる理由
プラクーチェでは、一緒にやりましょうと声をかける。
寺ヨガの準備も片付けも。ワークショップの企画や内容も。
提供するだけ、販売するだけというのはあまりない。
一緒にすることで、そこには物語が生まれ、その物語を作る役者となることができる。それも、自分がしたいと思ったように。そこにこそ意味があると思っている。
他人事ではなく自分事になると、考えたり動いたりしなければならず、少し面倒かもしれない。その面倒を買ってでると、その先には達成感や充実感がある。やった者にしかわからないもの。
例えば、シューズ袋を買ってきて子どもに渡すことももちろん素晴らしい。買いに行く時間を確保して、足を運び、どれがいいだろう、これなら喜ぶかなと選ぶ。
作ることというのは、その作業にプラスして、作るという労働が入り、ここを工夫した、ここにこだわった、ここが苦労したといったエピソードが入る。
だから、子どもに渡すとき、子どもが週末に持ち帰ってくるとき、そのたびに思い出したり、話題にできたりする。
語れる歴史が生まれるのだ。
物を作るだけじゃなく、その空間を作ることもまた同じことだと思う。
そしてもうひとつは、一緒にやることで仲間になれるということ。
人は承認欲求が強い生き物だと思う。だから、そこに帰属していると感じることで安心感が生まれたり、これをしたいという要求を出しやすくなる。
プラクーチェのいいところは、それが単発だということ。
ちょっと頑張ったらエピソードが得られ、欲求も満たされる。だけどそれは「その時」のものだから。
興味がなかったり、毎回参加出来なかったりすると気まずくなってしまうことはないだろうか?
その時だけだから、次に参加できなくても大丈夫。
もっともっと参加したいなら次も参加すればいい。負担なく、気軽に参加できるところがいい。
家事や育児や仕事や学校、介護も看護もあるかもしれない。
やらなきゃならないことがたくさんある世の中だからこそ、そういったしがらみや関係と違う場所が必要。「しなければならない」なんてことが覆されるくらい様々な人がいて、なにものでもない「私」に戻れて、受け入れてもらえるようなそんなサードプレイスが必要。
だからこそ一緒にやることに意味がある。プラクーチェはそこにこだわる。
最後までお読みいただきありがとうございます。プラクーチェの活動を知っていただく機会となったら嬉しいです。