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それでも僕は歌い続ける

初めての舞台稽古を終えて、演出家が「いやぁー、見事に少年になったね。いや、僕だけじゃなくて見ていた人が皆そう思ってると思います」と嬉しそうに声をかけてくれた。11月28日(土)、今週の土曜に東京文化会館小ホールで行われる公演「ヴォルフ 歌劇イタリア歌曲集」の昨日の稽古でのことだ。

「イタリア歌曲集」というとイタリア語の歌なのかと思われることも多いのだが、フーゴー・ヴォルフというドイツの作曲家によるドイツ歌曲の歌曲集だ。イタリアの若い男女の恋愛の歌、民謡的、世俗的な詩をパウル・ハイゼが独訳し、ヴォルフが作曲した。

嫉妬の歌あり、失恋の歌あり、喧嘩の歌あり、純愛の歌あり。一つの曲は2分もないくらいの短い歌が殆どで、めまぐるしく歌の場面が変わっていく。僕は大好きな歌曲集で今まで何度も演奏してきた。5年前の門下のドイツツアーでは、門下生と一緒にステージに上がって演奏した。ドイツの教会や音大のホール、劇場のホールで何度も歌ったなぁ。

46曲もあるのに、演奏時間が80分に満たない、と言う手軽さもあり、軽妙なヴォルフの語り口もあり、本当に可愛い、魅力的な曲達だ。

僕は今53歳だが、ここでは10代の若者を演じなくてはならない。場合に拠ってはいじけ、拗ねて、あるいはほとばしる情熱を歌に込める。歌は良いとして白髪がかなりを占める僕の頭部を含め、ビジュアル的にも化ける必要がある。ここで前田文子さんの魔術が炸裂。

前田文子さんについては、ご存じの方も多いはず。高校生はあまりわからないかな?ググってみて下さい。もう舞台衣装家としてはレジェンドの部類だと思う。僕は幸せな事に何度も一緒に仕事をさせて頂いて、その度に彼女の仕事のクオリティの高さに驚嘆する。でも、こうして共演する前の段階もあったのです。

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これは衣装合わせの時の貴重なショット。何故なら、前田さんは写真がSNSに出るのを好まない。今回は特別にお願いして演出の岩田さんと三人で。

なぜか特別にお願いしたかというと、23年前、この三人はベルリンで連んでいたのです。それぞれが留学生の身で、必死にヨーロッパを自分の中にかっこんでいた。本当に必死だった。だから、前田さんと衣装合わせで会う度にベルリンの話をしてしまう。今回もそうだったな。

今回も、いや、今回は特に前田マジックが炸裂していて、シンプルな衣装なのに、僕を少年にしてくれた。僕もそれをサポートするべく、当日のヘアメイクだけに頼らず、髪を染めて、髭も剃り。ですので、しばらく校長は茶髪です。

いま、大学もコロナ状況で延期のスケジュールで、休日返上で試験や授業が続く中、大学院の入試や色々なイベントがある。コロナの第二波、第三波と言う言葉がニュースに出ていて、社会全体がコロナとの已む無き共生に疲れてきたことも感じる。そして高校の日常の中では大イベントのチャリティーコンサートも迫っている中、予定外のことが起これば対応を余儀なくされる。立ち稽古の前に高校に寄って執務をし、稽古と稽古のあいだや21時に稽古が終わったあとにグループウェアのSlackでチャットやチャンネルで何か状況や進捗に変化があったか確認して帰途につく。なかなかへとへとです。

でも、変な話なんですが、こういう風に体力、集中力的に追い詰められているときほど、舞台での自分が生き生きとして、弾けることを強く感じるのです。これはいつもそう。日常が大変だから、非日常の舞台、稽古での時間の貴重さが増して心に迫ってくると言う事もある。歌っていると「自分はこれのために生きてるんだ!」という実感を、毎秒感じる。こんな豊かな時間は他には無い、とフレーズごとに幸せを噛みしめながら歌っている。

それで実際、何故か表現者としてのクオリティーも高いことが多い。息子が生まれたばかりの2000年の夏の事を思いだす。夫婦二人とも当然の事ですが初めて子供を抱え、それぞれ父親修行、母親修行を始めたばかりの頃。僕は張り切りすぎて、留学期間終了と劇場雇用期間開始のすきまの6か月に、オペラのプロダクションを5本も入れてしまった。二期会、新国立劇場デビューとなったR.シュトラウス「サロメ」もこの中の一つだった。ヨハナーンという難役のすぐ後に、全くカテゴリーの違うマーラー「さすらう若人の歌」を東京都交響楽団のマーラーチクルス第一回で歌わせて頂くコンサートもあった。要するに一杯一杯。

この5本の中の一つが、新国立劇場小劇場でのグルックのオペラ「オルフェオ」だった。演出は奇しくも今週の舞台と同じ演出家。僕はこの稽古期間中、本当に一杯一杯で、稽古場以外の時間は他の事に忙殺されて、本当にヘロヘロだったんだけど、稽古場に入ると集中力が漲ってきた。本当にどんどんアイディアが溢れてきて、立ち稽古の度にどんどんアドリブが湧いてくるのです。自分でも不思議でしたが、演出家が「一体小森はいつどうやって勉強してるんだ!」と言っていたと言う話をあとで聞きました。演出家のこの発言にはリップサービスも入ってるとは思いますが、何か憑依した霊媒のような部分がありました。

そういう状態を今回もそれを感じるんです。一つの理由は共演者の皆さん、ソプラノの老田裕子さん、ダンサーの山本裕さん、船木こころさん、そしてピアノの井出徳彦さんがあまりに素晴らしい事。刺激が多すぎて、アドリブをどんどん出してそれを重ねていかないともったいなさ過ぎる。

でも、もう一つはっきり感じるのは、自分が追い詰められているからって事。それがアンテナを開くことや、インスピレーションの放出に一役買っていることをはっきり感じるのです。舞台以外の仕事で頭も身体も一杯一杯という状態が、それをもたらしている感じがする。

とはいえ、疲れ切った身体をむち打って過ごす中、「なんでそこまでして歌うの?」と自分でも思う瞬間が無いわけでは無い。でもすぐにこう言います。「いや、それでも僕は歌い続けるんです。歌うのが好きだから。声で他の人達と繋がりたいから。そしてこれが僕の使命だから」と。さらに言うと、追い詰められれば追い詰められるほど人間のポテンシャルが出てくる、と言うこの、自分の肉体と精神を使っての人体実験(?)も面白すぎる。やらない手はない。

と言うわけで、校長は歌い続けます。プレイング・ディレクターとして。

土曜日、まだチケットはあります。10代の恋愛の歌ばかりです。以下の動画でも話していますが、新しいスタイルどころではなく、新しいカルチャーを生み出している、と言う気持、使命感を稽古場全体で共有しています。高校生には特にみて欲しい。ドイツリートがこんなに生々しくて、生き生きしているって事、その場に立ち会って欲しいです。劇場でお待ちしてますよ。​チケットの希望は僕に言って下さい(メールはこちら)。25歳以下は¥1100(驚愕)のチケットがあります。


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